先日、ミニマリストへの憧れと、出来ない、やらない言い訳を、本をきっかけにグダグダ書きましたが、何と恐縮なことに著者の方から、コメントをいただきました。その直後にご近所さんと予定していたお茶。

 4月半ばの引っ越し料金が下がって来たところで転出予定の、長年の仲良しのお宅で、最後の晩さんならぬ最後のお茶会です。

  引っ越すと言っても、歩いても行けない事のない生活圏にあるご実家を建替えての引っ越しで、加えて今の住まいは売らず、ご両親と交換のような形になったとのことなのです。なので、既に建ちあがった新居に車でちょこちょこモノを運びいれたりしているそうで、切迫感が甚だ欠けているそうですが、それでも、やはりそろそろ段ボールがあちこちに積まれ、今までのコージー空間とは違っていました。

 そこへ前もってメールで誘って貰っていた近所の友人以外に、その友人の友人やら、レンタルモップの集金に来た友人やらが、集まって総勢6人くらいになったのですが、引っ越しと言えば、やっぱりモノをどうするか、という話が出て来ます。

  ちょうどいいやと、ミニマリズムや断捨離どうかという話でひと盛り上がり。
 参加者の中の二人は、とにかくモノの少ない暮らしをしていて「こんなにはやるんなら、私が先に本を書いておけば良かった」「こんまりさんのときめきって、何よ今更だった」という猛者です。

 この二人、とにかく簡単に捨てられちゃうらしい。1年着ない服なんて、取って置くなんてありえない。プリントなんてすぐに捨ててたわ、など捨てるエピソードには事欠かず、ごくまれに捨てすぎて困ったことはあるけれど、捨てるかどうかで悩むことはないそう。

  確かに、子どもの小学校時代は時々問い合わせの電話が掛かって来て、捨てたプリントに何が書いてあったのか聞かれることがありました。そして、寄贈型リサイクルショップへ持って行くという荷物に入っている服の新しさ、その服のもとのお値段を知っていてびっくりした事もありました。

 私のような捨てられない人間、加えてもっと捨てられない家族に悩まされている人間からしたら、まことに羨ましい人たちではあります。

 この手の捨てられる人が、何でも捨てる代わりに、物持ちの家を倉庫代わりに利用するような事だと「自分の家はすっきりさせておいて、必要なものも持たないで人の家から借りるばかり」と顰蹙を買う事請け合いですが、友人は暇があれば、美味しいお菓子を用意してお茶に呼んでくれる人なので、ノープロブレムです。

 一方で、引っ越し間近な家の主は、モノは多いのだけれど、全てが上手に収まっていて、とても居心地の良い暮らしをしている人。彼女はモノは多いけれど、使わないとなったら、そりゃ見事に手放します。

 そもそも、新品手つかずの品物を捨てるというのを玄関先で見つけて「それはもったいない」といただけるものをいただいて、寄贈型リサイクルショップの所在を教えたのは私でございます。

  コージーという言葉がふさわしいのは、彼女みたいな暮らしぶりなんだろなぁと思います。

  要するに、モノが多くても、使いこなしている、管理できているのなら、それは問題ないのではないかと。しかし、それにはそれ相当の技量やら記憶力やら何やらが必要で、確かにややこしいと言えばややこしいでしょう。

 ミニマリストの方たちは、そのややこしさから脱して、何か別の事に注力したいとお考えなのだと思います。前述の友人も、二人目のお子さんがお腹にいる時期に4時起きして、ラジオを聞いて、弁護士の次くらいに難関ではと言われていた時代の通訳ガイド資格を見事に取りました。👏👏👏

 一方で、コージー友人の料理の腕前は近隣に鳴り響き、特にケーキとパンは絶品ですし、私が下手なカフェご飯はとても食べられたもんじゃないと思うのは彼女の料理を楽しませていただいているからです。そして、洋裁や手芸もすごいの。お店でちょいと見たり、私が「これはいいよ」と数日貸し出す3コインショップ物の便利品。数日後には同等か、更に改良を加えたものをいとも簡単そうに、見栄えもよく作ってしまえる腕前はすごいです。

 料理や手芸、洋裁の材料は買ってくるとしても、家には常備の、つまり使い捨てしない工具なり道具がないと無理ですよね〜。

  ミニマリストは目的を絞って、少数精鋭主義で注力するのでしょう。だから、すごい力が出る。

  一方で生活達人は、暮らし向きのあれこれに手を掛けて楽しむ。だからモノは多いが、決して乱雑な訳でも、死蔵している訳でもない。


  問題は・・・私のようなフツーの(と言いたい、甚だ怪しいのは自覚してはいますが、ぎりぎりフツーと自称させてくださいよ💦)平凡で、達人でも注力型でも何でもない人間の場合。

 要するに何かを作り出す能力はさほど高くないのだが、欲張りなのよね。自分でも出来る気がしたり、作る能力が低いからこそ、何かしらバリエーションが欲しいのです。そして、色に対する感覚も、禅寺より、ご利益追求型寺院っぽい混沌でOKというか、混沌でないと寂しかったりするのです。 街で言うと、横浜の日本大通りより、大阪の道頓堀みたいな感じね。

 色のまとまりがない、汚い、落ち着かない部屋だわと思って、どれを間引けるか考えてみるのですが・・・がらーんとした部屋にしたとしても、きっとまた何かしら色を持ち込むんだろうなぁと思います。

 色のまとまりのつかなさ、形のバラバラさによる視覚的ウザさを軽減したいという気持ちはものすご〜く強いのですが、先ず第一弾は死蔵をしないのなら良し、という事で妥協するかな。



 なお、お茶会のメンバーは、主催の友人は親しいが私は挨拶位なので、実態がよく分からないご近所の方、前述の捨てる友人の友人、レンタルモップの友人以外は、ご自宅に何度もお邪魔しておりますが、恐らく捨て達人2名と、主催友人以外は、フツーの人かと・・・想像します。

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