多分、我が子を含む周囲から変人認定されている甲斐小泉です。

  若い頃は、存命中だった「常識人」の母の影響から、脱変人を目指し、足掻いた事もありますが、三十代後半に母を失い、なかなか難儀な子育て時代を経て、変人でいいや!と開き直ったら、かなり生きやすくなりました。
 
 かつては悶々として寝られない日々も続いた事がありますが、今はレアです。もちろん、子育ての一番大変な局面から離れたのも大きいですが、考え方を変えたのも大きいかなと思います。

 一言で言ってしまえば、いい人になろうと思わない!です。

  いや、自分で、そう思っても、無理矢理いい人、つまり、都合のいい人にしたい勢力が出てきて、いい人願望に付け込もうとしますが、それに対してNOと言えること。そういう勢力の一本釣りに引っ掛からない事。

  面倒事には関わらない事。これは、困っている人を見捨てるという意味ではなくて、対立している人たちの中に巻き込まれない事を意味します。

  例えば、密接な利害関係にあるA、B、Cという三人。苦手で付き合いたくないのはAですが、Aに対抗心を燃やすB、Cと付き合ったら、それを喧伝され、三角関係にまきこまれそうなら、B、Cとも関わらないというような事です。

  もちろん、味方として力になりたい程の魅力がBやCにあったら、話は違って来ますが、そうではないなら、敢えて近づかないと、楽に暮らせます。

  友だちは多いほどいい、というありがちな考え方にひきずられると、ついB、Cと関わっていなきゃと思いますが、一緒にいて疲れる関係を敢えて維持する必要はありません。

  言っている事が矛盾するように聞こえるかも知れませんが、一方で、友だちはいろんなフィールドにいる方がいい。これは、数多く友だちがいる方がいいを意味しません。

  子育てを含み、人生が比較的順調な人が陥りがちなのが、フィールドが広がらないのようです。別の言葉で言うと世間が狭い。

  これは自分への慰めにもなりますが、人生が順調ではなくて、悩んでおられる方がいらしたら、長い目で見たら、フィールドを広げてくれる、と信じたら、お気持ちが楽になるのではと思います。

   私自身、フィールドごとに違うタイプの友人に、悩み事を話して、救われていますし、私が友だちから悩み事の話を聞くことがあるのは、フィールド違いで安心なんだろうなと思います。

 一例として、私にとってのフィールドというのは、学校時代の友だち、仕事仲間、ご近所仲間、苦難の中で知り合った友だち、趣味の仲間、年上の友人、年下の友人などです。

  それから、自分がなれない方向を向かない。これは自分の得手不得手がわかっていないとなので、若いうちはなかなか難しいかも知れませんし、むしろ体力も気力のある若いうちは模索も悩みもありだと思います。

  自分軸を持つ事、と言い換える事ができるかも知れませんが、例えば、私ならば、ファッション雑誌に載るような美しい奥様というのは切り捨てね(笑)。

  切り捨てようとしても、どうしても気になる、という時は、本音と建前が逆転しているのかもだから、いっそうのこと、頑張りましょう。

  こうして書いてきて思うのは、文字通りの意味での自己チュー、わがままに生きるのが、楽な気持ちでいられるコツなのかなと。

  まず自分を中心にして、自分の思いを優先する。自分が人生の主人公になる、主体として生きる。口で言うのは簡単ですが、これ、なかなか難しいです。特に日本は同調圧力が強い国ですし、最近はますます強まっています。誰もが逆らいにくい正論で言われると、切り返すのが大変だったりしますが、あれこれ言い訳するより、シンプルにできませんと断わりたいです。

  それは、世間一般の言う自己チュー、わがままとは違います。
  
  無理して沿ってみて、心を病むより、脱いい人で心の健康を保つ方が正解だと思います。

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