お天気いまいちの中、平塚市美術館に友人を誘って出かけました。 

 夏に14歳で被爆した橋爪文さんとお話をして、著書を読ませていただいた経験から、丸木夫妻の原爆の画を見ておきたいという気持ち、また山口県の緑に囲まれた山村の三隅にある小さな美術館で作品と出会った香月泰男さんの画との再会もしたくて。 

 この美術館は行列をなすような超著名な作品展示はしないけれど、なかなか良質な作品展示をするし、下り電車でゆるゆる行ける雰囲気も好きで、何回か足を運んでおります。 

 展示入口に館長の言葉があり、敢えて25周年記念企画をお祭り的なものにせず、言うなれば明るくない、暗い、辛い画や、戦争と平和を考えさせる企画に、さらに川田喜久治さんの写真を加えた決意が、自らの若い時代に感じた事も踏まえて語られていました。 

 行きの電車の中で、最近の日本の公共施設が政権意向に忖度し、少しでも体制に逆らうようなことを感じさせる展示を拒否する事に対するドキュメンタリー映画を見に日比谷公会堂に行った彼女の友人が、居並ぶ公安らしき人たちを見たという話を聞いたばかり。

  また、八ヶ岳の公立図書館が、行政、さらに言えば国の方針である中部横断自動車道建設への疑問を呈するチラシを置くのを一時的にせよ拒否したというコラムを読んだばかりだったので、草薙館長の敢えてこの時期だからこそ、戦争と平和を考えたいという気持ちに意気を感じざるを得ませんでした。 

  展示作品でも、香月さんの朕、英語タイトルはエンペラーは、作家による注釈に天皇への忠誠を語りながら死地へ赴かされた無念さがあふれていて、こりゃ事なかれ主義の公的施設なら、絶対外すよなという強烈なメッセージそのものでした。 

 丸木夫妻の画は、私はこどもの頃からしばしば「婦人之友」誌上などで目にしていましたが、これだけまとまった大作を見たのは初めてです。

  ご夫妻の画を政治的主張をしている画だからという理由での低評価があるらしいですが、これは中世の地獄絵図と同様、ただし現実にあった、今もどこかで発生している地獄絵図であり、やはり作品なのだと思いました。 

  そもそも、メッセージのない作品なんて、パワーもないのに、政治的かどうかで作品を決め付ける人というのは何考えているんだろうかと思うんですが。 きっと作品そのものを見る事が出来ない人なのだろうと想像、人間を出身校や仕事で格付けしたがる人と同根のものを感じます。

 そして、川田さんの写真は、世界遺産になったりして保護される以前の、廃墟として誰でも勝手に入れ落書きさえされていた頃の原爆ドームの剥落した壁や、もしかしたらそこに生きていた人の影かも知れないシミ等を写した作品、特攻隊員の遺影や遺書、戦後なだれ込んだコカコーラの空き瓶、居並ぶテレビなどを写した作品を並べ、何かを訴えています。それはひとりひとりが考えればいいと写真家がつげているようです。 

 見た目には地味で、一般受けする印象派の画家やルネッサンス絵画、蕭白や若冲、琳派のような知名度はない作品群ですが、週末、さらに午後から川田さんのトークがあるためもあるのか、中高年を中心に程よい混み方で、今の日本の方向性に違和感を感じている人が少なからず来ておられるのではないかと思いました。 


 帰り道に通過した6日にオープンしたてのららぽーとの方がもっと賑わってはいたけれど・・・・・ららぽーとは無料ですからね(笑)。

  帰途途中駅で、年金暮らしにはありがたいマックの合計200円のコーヒーとホットアップルパイのお茶して解散しました。