幼いこどもたちに教育勅語を覚えさせたり、行事の時に首相応援を叫ばせる大阪の幼稚園、そこが新設しようとした小学校がただいま問題になっています。
一方で、ネットニュースの見出しでPTAは退会できるというのが閲覧数が上がっているのを見ました。何が嫌だって強制的に役を振り当てるところのようで、実際、私も母が入退院を繰り返し、二男にも手が掛かる時期にくじで無理矢理委員にされてしまった苦い経験がありました。
PTAのみならず、町内会、自治会の類も、実は任意団体で退会可能という事がしられてきて、実際、我が家のある地域でも自治会退会者比率が高い分譲マンションが発生しています。
一方で、ネットニュースの見出しでPTAは退会できるというのが閲覧数が上がっているのを見ました。何が嫌だって強制的に役を振り当てるところのようで、実際、私も母が入退院を繰り返し、二男にも手が掛かる時期にくじで無理矢理委員にされてしまった苦い経験がありました。
PTAのみならず、町内会、自治会の類も、実は任意団体で退会可能という事がしられてきて、実際、我が家のある地域でも自治会退会者比率が高い分譲マンションが発生しています。
また、友人が、活発なお母様がリーダーをしていたサークルで、リーダーの引き継ぎが難しいこと、他サークルはリーダーの引き受け手がなく解散したところもある、と話していました。
一見、無関係そうな教育勅語とボランティア系のリーダーのやり手がなかなかいないですが・・
昨今の政治や経済における重鎮たちの反動的発言を聞くと、君に忠、親に孝と無条件で叩き込めば、右向け右、と言えばその通りにする従順な人間ができるのを期待しているものと思われます。
それが人々の幸福に繋がらないのは、戦争が惨めに終結するごとに思い知らされるはずなんですが、それでも待望してしまうのは、もちろん、精神的奴隷が政界財界にはありがたいのがあると思いますが、一般ピープルの間に、特にボランティア、無償かそれに近い状態で動く人たちへ、要求、ツッコミは多いのに、感謝しない、労わないという傾向が強い事も彼らの論に勢いを与えてるのかも?とふと考えてしまいました。
報酬もらえる『長』ならば、やりたい人は山ほどいるのに、有償、無償を問わずボランティア系の『長』はやりたい人激減です。
教育勅語の余波がある頃は、PTA会長とか、町内会長、サークルの長等など、一目置いて貰えたり、尊敬されていたし、今ほど繁雑多忙にあれこれ気を使って事をしなくてもよかったのではと思われます。若い世代も余裕があって、手伝いもあったでしょうし。
しかし、今の時代、情報が発達しているが故に、満遍なく公平に連絡したり、間違いない内容か精査したりと手間がかかり、しかも、うっかりするとツッコミならまだしも、バッシングが起きたりします。
かつて町内会やPTAやサークル等では時々、恣意的で悪いボスやその取り巻きが出現しやすい面はありましたが、逆に言うと、そういうおいしさがあるから、無償でも引き受ける人がいた面もあったかと思います(もちろん、リーダーたちは人様のためにと頑張って下さっていたので、悪いボスの方が例外的かと)。
こども時代に、よく祖母から、昔のこどもは親に口ごたえなんてしなかった、どんな理不尽な事を言われても、はい、と堪えたと聞かされました(要するにそれだけ私は非従順なこどもで、教育勅語が染み渡った世代にとっては困ったちゃんだった訳です)。酒代にと娘を売るなんて話が近所の仲良しを見舞ったりした時代でもありましたが、有償無償問わず『長』である人間には、やりやすい時代だったに違いありません。子育ても、家電がなく、家の作りも違っていた分、大変だったとは思いますが、しつけという面ではやりやすかったことと思います。
過剰なサービスとそれと逆行する安さを求めすぎた事が、人件費の安い地域、国へ生産現場を移され、まわりまわって自分たちの職場を失ったり、ブラック労働の蔓延に繋がった面があるように、義務はなおざりに権利ばかり主張する傾向が強まった事が、昨今の反動主義に格好の口実を与えてしまっているのかも知れないと、思いました。
やることやらないで文句だけは、体力気力脳(能)力低下のシニアに多いですが、若いうちからそうなっちゃうのは、やはり生活まわりに余裕がないからなんだろうなぁ。そんな時には思考力も低下するから、長いものに巻かれた方が一見楽に感じられますが、そのツケは取り返しがつかないほど大きいはず。
上から頭ごなしの教育勅語で世直しするのではなくて、もっと穏やか勝つ、自主的な何かを考えないと・・・・
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一見、無関係そうな教育勅語とボランティア系のリーダーのやり手がなかなかいないですが・・
昨今の政治や経済における重鎮たちの反動的発言を聞くと、君に忠、親に孝と無条件で叩き込めば、右向け右、と言えばその通りにする従順な人間ができるのを期待しているものと思われます。
それが人々の幸福に繋がらないのは、戦争が惨めに終結するごとに思い知らされるはずなんですが、それでも待望してしまうのは、もちろん、精神的奴隷が政界財界にはありがたいのがあると思いますが、一般ピープルの間に、特にボランティア、無償かそれに近い状態で動く人たちへ、要求、ツッコミは多いのに、感謝しない、労わないという傾向が強い事も彼らの論に勢いを与えてるのかも?とふと考えてしまいました。
報酬もらえる『長』ならば、やりたい人は山ほどいるのに、有償、無償を問わずボランティア系の『長』はやりたい人激減です。
教育勅語の余波がある頃は、PTA会長とか、町内会長、サークルの長等など、一目置いて貰えたり、尊敬されていたし、今ほど繁雑多忙にあれこれ気を使って事をしなくてもよかったのではと思われます。若い世代も余裕があって、手伝いもあったでしょうし。
しかし、今の時代、情報が発達しているが故に、満遍なく公平に連絡したり、間違いない内容か精査したりと手間がかかり、しかも、うっかりするとツッコミならまだしも、バッシングが起きたりします。
かつて町内会やPTAやサークル等では時々、恣意的で悪いボスやその取り巻きが出現しやすい面はありましたが、逆に言うと、そういうおいしさがあるから、無償でも引き受ける人がいた面もあったかと思います(もちろん、リーダーたちは人様のためにと頑張って下さっていたので、悪いボスの方が例外的かと)。
こども時代に、よく祖母から、昔のこどもは親に口ごたえなんてしなかった、どんな理不尽な事を言われても、はい、と堪えたと聞かされました(要するにそれだけ私は非従順なこどもで、教育勅語が染み渡った世代にとっては困ったちゃんだった訳です)。酒代にと娘を売るなんて話が近所の仲良しを見舞ったりした時代でもありましたが、有償無償問わず『長』である人間には、やりやすい時代だったに違いありません。子育ても、家電がなく、家の作りも違っていた分、大変だったとは思いますが、しつけという面ではやりやすかったことと思います。
過剰なサービスとそれと逆行する安さを求めすぎた事が、人件費の安い地域、国へ生産現場を移され、まわりまわって自分たちの職場を失ったり、ブラック労働の蔓延に繋がった面があるように、義務はなおざりに権利ばかり主張する傾向が強まった事が、昨今の反動主義に格好の口実を与えてしまっているのかも知れないと、思いました。
やることやらないで文句だけは、体力気力脳(能)力低下のシニアに多いですが、若いうちからそうなっちゃうのは、やはり生活まわりに余裕がないからなんだろうなぁ。そんな時には思考力も低下するから、長いものに巻かれた方が一見楽に感じられますが、そのツケは取り返しがつかないほど大きいはず。
上から頭ごなしの教育勅語で世直しするのではなくて、もっと穏やか勝つ、自主的な何かを考えないと・・・・