正式名称は英連邦戦死者墓地 だそうですが、イギリスの要人が来日すると、慰霊に訪れるというスポットが横浜市内にあります。エリザベス女王やダイアナ妃もいらしたとか。
友人が声をかけてくれて、初めて行きました。
残念ながら、盛りをちょっと過ぎていましたが、楓も植えられていて、見ごろにはさぞかし美しい赤だっただろうと思われます。

友人が声をかけてくれて、初めて行きました。
残念ながら、盛りをちょっと過ぎていましたが、楓も植えられていて、見ごろにはさぞかし美しい赤だっただろうと思われます。

厳かな墓地で紅葉狩り気分なんて、怪しからんと思いましたが、よ〜く考えると、日本の紅葉狩りの名所の多くは寺院。さすがに墓地での紅葉狩りはあまり聞きませんが、桜の開花時は青山霊園がちょっとした名所だと言えば、そうそう不謹慎ではないのかも知れません。
日本が敗戦後、占領されていた時期に造成された墓地のようですが、戦死者、捕虜として過酷な労働をさせられて命を落としたイギリス連邦の兵士たちの墓石が、整然と並び、素晴らしくよく手入れされた芝生や、イギリス風の植栽が美しく、広々としていて、暗さが微塵も感じられない場所でした。
お天気が良く、日当たりが良かったのもあるかも知れませんね。



とても明るい美しい場所なのですが、墓石の文字を見ると、とても切なくなります。名前、年齢や軍での仕事などが刻まれていますが、20代、30代、中にはまだ二十歳にも満たない若者がとても多いのです。
日本でも、未だに戦没者の遺骨収集が行われているくらいですから、お墓があるだけまだ良いという考え方もあるかも知れませんが、遠く離れた地で眠る大事な人を思うご家族の気持ちを考えると、胸がきゅっとなります。
友人は知覧の特攻隊の記念館を見て泣けたと言いますし、私は上田の戦没画学生の作品を展示している無言館を見た時も、横浜の赤レンガ倉庫のそばにある海上保安庁の展示を見ても、若い命が大義の名のもとに散ってしまったことに、本当にせつない気持ちになったのを思い出しました。
戦争をするという事は、辛い苦しい思いをする本人はもちろんの事、家族や大事な人たちの心にも大きな陰を落としてしまう事なんだというのを、この厳かで美しい場所で改めて実感しました。
墓苑の敷地は児童公園と隣接しているようで、奥まったところにはかつてのイギリスの植民地だったインドとパキスタンの方のお墓もありました。奥の方の墓石の日付を見ると、第二次世界大戦後、1954年頃のものもありました。朝鮮戦争はウィキペディアで見る限1953年までとなっていますが、どの紛争で亡くなられた方だったのでしょうか。
床紅葉もきれいでした。

その後、友人宅にお邪魔。持参したのはこちら。この間も食べたよねの崎陽軒。「おべんとう冬」であります(蛇足ですが、我が家の生活圏で買ったお値段が700円、高速道路のSAだと場所代が入るのか、確か800円だったような・・・)。


友人宅はガーデンデザイナーに新たにお仕事をして貰ったとかで、ちょこっとイギリス風になっていました。
人も家も年を取ってる感ありありな我が家と違って、ご主人もインテリア、エクステリア共に造詣が深いみたいで、違いの分かる大人の住まいって感じで羨ましいおうちでございました。
「今度は夫婦で来て」という友人。素敵な家を拝見したら、家人も少しは我が家のありようを考えてくれるかしらん?(;^_^A
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日本が敗戦後、占領されていた時期に造成された墓地のようですが、戦死者、捕虜として過酷な労働をさせられて命を落としたイギリス連邦の兵士たちの墓石が、整然と並び、素晴らしくよく手入れされた芝生や、イギリス風の植栽が美しく、広々としていて、暗さが微塵も感じられない場所でした。
お天気が良く、日当たりが良かったのもあるかも知れませんね。



とても明るい美しい場所なのですが、墓石の文字を見ると、とても切なくなります。名前、年齢や軍での仕事などが刻まれていますが、20代、30代、中にはまだ二十歳にも満たない若者がとても多いのです。
日本でも、未だに戦没者の遺骨収集が行われているくらいですから、お墓があるだけまだ良いという考え方もあるかも知れませんが、遠く離れた地で眠る大事な人を思うご家族の気持ちを考えると、胸がきゅっとなります。
友人は知覧の特攻隊の記念館を見て泣けたと言いますし、私は上田の戦没画学生の作品を展示している無言館を見た時も、横浜の赤レンガ倉庫のそばにある海上保安庁の展示を見ても、若い命が大義の名のもとに散ってしまったことに、本当にせつない気持ちになったのを思い出しました。
戦争をするという事は、辛い苦しい思いをする本人はもちろんの事、家族や大事な人たちの心にも大きな陰を落としてしまう事なんだというのを、この厳かで美しい場所で改めて実感しました。
墓苑の敷地は児童公園と隣接しているようで、奥まったところにはかつてのイギリスの植民地だったインドとパキスタンの方のお墓もありました。奥の方の墓石の日付を見ると、第二次世界大戦後、1954年頃のものもありました。朝鮮戦争はウィキペディアで見る限1953年までとなっていますが、どの紛争で亡くなられた方だったのでしょうか。
床紅葉もきれいでした。

その後、友人宅にお邪魔。持参したのはこちら。この間も食べたよねの崎陽軒。「おべんとう冬」であります(蛇足ですが、我が家の生活圏で買ったお値段が700円、高速道路のSAだと場所代が入るのか、確か800円だったような・・・)。


友人宅はガーデンデザイナーに新たにお仕事をして貰ったとかで、ちょこっとイギリス風になっていました。
人も家も年を取ってる感ありありな我が家と違って、ご主人もインテリア、エクステリア共に造詣が深いみたいで、違いの分かる大人の住まいって感じで羨ましいおうちでございました。
「今度は夫婦で来て」という友人。素敵な家を拝見したら、家人も少しは我が家のありようを考えてくれるかしらん?(;^_^A