昨晩は興奮していて、なかなか寝床に入らなかったのですが、意外にスッキリ目が覚めまして、ウ゛ィアインの朝食を一番乗りの時間帯に摂って、9時には東海道線の新快速で豊橋へ。
ここで学生時代の友人と合流、浜松へGO!GO!
ここで学生時代の友人と合流、浜松へGO!GO!
1月の名古屋フェスティバルの後には、東海道でただ二つだけ残る本陣の一つのある二川を案内してくれた友人、今度は浜松市楽器博物館に連れて行ってくれました。
駅のそばにアクトシティーという立派な文化施設やホテルを含む一連の建物群があり、その一角にある博物館は、仰々しくなくて、入りやすい雰囲気です。
入館と同時に「間もなくラッパのミニコンサートが始まります」とのご案内。まだ人が集まっていない地下のミニステージが見える最後列の背もたれ付きの立派な椅子に陣取り、開始を待つうちに、次々に人が集まり、前方の背もたれのないお役所待合室仕様の長椅子が埋まりました。
ラッパ? ラッパって、あれだよね、と思っているうちにご登場の演奏のセンターの皆さん、それぞれ違うハッピをお召し。ありていに言えば統一感無し(笑)。
司会の地元、静岡文化芸術大学の教授の「諏訪から来ていただいた」にはたと気付きました。衿元には見知った茅野市や岡谷市の文字がある方もいらして、こりゃー、御柱関係だなぁ。前日に大学でラッパ隊の方たちも参加されてのシンポジウムがあったので、皆さん二日酔いだとか(笑)。
先生のご説明は楽器としてのラッパから始まりましたが、出せる音が非常に少ない楽器で、軍隊や消防が合図に使うものだそうですが、これを音楽として楽しみ伝えるために頑張っているのが、長野県なんだそうです。
2年前の春、御柱を見に行った時、ラッパの音色に軍国色を感じ、政治の右傾化が顕著になっていた時期でもあり、それに神社が一役買っているとの報に接してもいたので、ウッヘーと思ったのですが、どうも、誤解だったようです。
そもそもが軍隊仕様だったのは間違いないですが、消防ではラッパの音色で言葉では伝わりにくい様々な指示を現場に伝えていて、御柱でのラッパは景気付けの意味も感じられましたが、どうやら安全対策だったようです(と書いたあと、検索したら、やはり間違いなく軍隊の突撃のメロディーも使われているそうで、いかがなものかという論を見つけました。無知故、二転三転して、すみません💦)。
何年か前、夕暮れの横須賀港で、停泊中の自衛艦からラッパの音色が聞こえて来たり、亡父が海軍のラッパのメロディーを聞かせてくれたりして、懐かしいのと同時に、ラッパ=軍隊のイメージが出来上がって、先入観が強すぎました。
さて、その音色の少ないラッパのために編曲された著名曲の演奏や、御柱の伝統の木やりなど、バラエティーに富んだステージ、最後は地元浜松市の大凧揚げのラッパ隊の皆さんと合同演奏、とみっしり濃い30分あまりでした。
それにしても、いきなりの八ヶ岳エリアの皆さんとの遭遇、やっぱり八ヶ岳とは縁が深いんだなと改めて思いました。
演奏会の後は館内を見て周りましたが、集めるも集めたり!
地下は民族雑貨店状態のアジア、アフリカ、南米などのユニークな楽器から、アンティークショップ状態のヨーロッパの楽器までビッシリ。一階は、楽器というより舞台芸術でしょう状態のインドネシアのカラフルな大楽器や日本の楽器等など。
多くの展示品の前には試聴用のヘッドフォンがあり、そのコーナーの代表的楽器の音色を聞くことができます。
館内は適度な人の入りで、混み過ぎて並ぶストレスもないし、スカスカ過ぎて大丈夫かしらん?と気を揉む必要もないし、なかなか居心地がよく、あれこれの音色を楽しんでいると、時間の経つのが早い事!
異色の楽器として、チベットの仏具としての人骨使用のでんでん太鼓風と管楽器がひっそりと展示されていました。
近くにいる館員さんに伺うと、輸入するに当たり、なかなか難儀したらしいです。そして、館員は誰も演奏したことがないとか。信長が浅井氏の髑髏を杯にした残虐さが、本能寺の変を正当化する一つのネタとなっているくらいの我が国では、かなり衝撃的な楽器です。
じみーなのに目についてしまったのは、むかーし、横浜高島屋で開催された平山郁夫画伯のチベット素描展のパンフレットに、文化大革命同様、当時は正しい事とされていたチベット解放の根拠の一つとされた圧政、残虐性の証として、その楽器が巻末のモノクロページに載っていたのを見ていたからでした。
今でこそ、チベット解放が、本当の意味での解放か危ぶまれていますが、若かりし頃の私は、その楽器の持つ背景は考えず、ウッヘー、こりゃーひどい、改革解放よかったね!と思いました。プロパガンダって、そういうものなのね。
またまた、脱線しました。
琵琶とマンドリンは似てるぞ!と思っていましたが、ペルシャから東西に渡ったとか、ピアノが現在のようになるまでにはサイズも音も小さなクラビコードとかチェレスタとかチェンバロなどがあったのも、知識としては知っていたけれど、実物が並ぶと一目瞭然。
そして、ピアノはやはり富裕層のブランドものみたいな感じで、ずいぶん装飾が施され、インテリアの一部にもなっていたようです。
庶民の楽器と富裕層の楽器。
そして、民族楽器。
瓢箪をたくさんつけたシロフォンの原型みたいなアフリカの楽器は音階が西洋音楽と全然違います。日本の音階も相当違うのが、欧米中心主義のもと、明治以降習うようになった西洋音楽が主流になってしまったのですが、どの国、地域でも、自分たちの文化は何とか守り続けていてのトロピカルな音楽、日本の民謡や雅楽などのようです。
音楽もスポーツも、西欧系が中心になりがちとは言え、両方とも国境を越えて、人を結び付ける、感動させる普遍的な力があるよね、と思わされる展示でした。
最後に見たのは地元企業の製品、というか作品と呼びたいピアノ、電子楽器を中心とする展示室。一角に体験コーナーもありました。
ニッカウィスキーがサントリーにいた竹鶴さんが起業したように、河合楽器はヤマハから、なんて歴史もわかりました。そして、行きのバス移動中の立ちよりスポット、浜松サービスエリアに展示コーナーがあるローランドの電子楽器も、もちろんありました。
何回か立ちより、今回やっとこ気付いたのですが、浜松サービスエリアのこれ、鍵盤だったんですね。
![[画像:24771f3c-s.jpg]](https://livedoor.blogimg.jp/kaikoizumi/imgs/2/4/24771f3c-s.jpg)
スズキもヤマハ(バイクやモーターボートの方)もある浜松市ですが、音楽に対する思いは並々ならぬものと実感しました。
この後、お昼をご馳走になりながらおしゃべりを楽しみました。
鉄板腰痛は眼福や耳福でおさまってはいましたが、使わないで済んだ分も含む防寒具ぎっしりの鞄を持ち歩いての乗り換え三昧はしんどいので、エクスプレス特急券を購入し、一眠りするかと思ったら、停車駅の少ないひかりなので、もう新横浜でした。
移動だけの初日、眼福の中日、耳福の最終日、バラエティーに富んだ楽しい三日間でございました。人気blogランキングへ
駅のそばにアクトシティーという立派な文化施設やホテルを含む一連の建物群があり、その一角にある博物館は、仰々しくなくて、入りやすい雰囲気です。
入館と同時に「間もなくラッパのミニコンサートが始まります」とのご案内。まだ人が集まっていない地下のミニステージが見える最後列の背もたれ付きの立派な椅子に陣取り、開始を待つうちに、次々に人が集まり、前方の背もたれのないお役所待合室仕様の長椅子が埋まりました。
ラッパ? ラッパって、あれだよね、と思っているうちにご登場の演奏のセンターの皆さん、それぞれ違うハッピをお召し。ありていに言えば統一感無し(笑)。
司会の地元、静岡文化芸術大学の教授の「諏訪から来ていただいた」にはたと気付きました。衿元には見知った茅野市や岡谷市の文字がある方もいらして、こりゃー、御柱関係だなぁ。前日に大学でラッパ隊の方たちも参加されてのシンポジウムがあったので、皆さん二日酔いだとか(笑)。
先生のご説明は楽器としてのラッパから始まりましたが、出せる音が非常に少ない楽器で、軍隊や消防が合図に使うものだそうですが、これを音楽として楽しみ伝えるために頑張っているのが、長野県なんだそうです。
2年前の春、御柱を見に行った時、ラッパの音色に軍国色を感じ、政治の右傾化が顕著になっていた時期でもあり、それに神社が一役買っているとの報に接してもいたので、ウッヘーと思ったのですが、どうも、誤解だったようです。
そもそもが軍隊仕様だったのは間違いないですが、消防ではラッパの音色で言葉では伝わりにくい様々な指示を現場に伝えていて、御柱でのラッパは景気付けの意味も感じられましたが、どうやら安全対策だったようです(と書いたあと、検索したら、やはり間違いなく軍隊の突撃のメロディーも使われているそうで、いかがなものかという論を見つけました。無知故、二転三転して、すみません💦)。
何年か前、夕暮れの横須賀港で、停泊中の自衛艦からラッパの音色が聞こえて来たり、亡父が海軍のラッパのメロディーを聞かせてくれたりして、懐かしいのと同時に、ラッパ=軍隊のイメージが出来上がって、先入観が強すぎました。
さて、その音色の少ないラッパのために編曲された著名曲の演奏や、御柱の伝統の木やりなど、バラエティーに富んだステージ、最後は地元浜松市の大凧揚げのラッパ隊の皆さんと合同演奏、とみっしり濃い30分あまりでした。
それにしても、いきなりの八ヶ岳エリアの皆さんとの遭遇、やっぱり八ヶ岳とは縁が深いんだなと改めて思いました。
演奏会の後は館内を見て周りましたが、集めるも集めたり!
地下は民族雑貨店状態のアジア、アフリカ、南米などのユニークな楽器から、アンティークショップ状態のヨーロッパの楽器までビッシリ。一階は、楽器というより舞台芸術でしょう状態のインドネシアのカラフルな大楽器や日本の楽器等など。
多くの展示品の前には試聴用のヘッドフォンがあり、そのコーナーの代表的楽器の音色を聞くことができます。
館内は適度な人の入りで、混み過ぎて並ぶストレスもないし、スカスカ過ぎて大丈夫かしらん?と気を揉む必要もないし、なかなか居心地がよく、あれこれの音色を楽しんでいると、時間の経つのが早い事!
異色の楽器として、チベットの仏具としての人骨使用のでんでん太鼓風と管楽器がひっそりと展示されていました。
近くにいる館員さんに伺うと、輸入するに当たり、なかなか難儀したらしいです。そして、館員は誰も演奏したことがないとか。信長が浅井氏の髑髏を杯にした残虐さが、本能寺の変を正当化する一つのネタとなっているくらいの我が国では、かなり衝撃的な楽器です。
じみーなのに目についてしまったのは、むかーし、横浜高島屋で開催された平山郁夫画伯のチベット素描展のパンフレットに、文化大革命同様、当時は正しい事とされていたチベット解放の根拠の一つとされた圧政、残虐性の証として、その楽器が巻末のモノクロページに載っていたのを見ていたからでした。
今でこそ、チベット解放が、本当の意味での解放か危ぶまれていますが、若かりし頃の私は、その楽器の持つ背景は考えず、ウッヘー、こりゃーひどい、改革解放よかったね!と思いました。プロパガンダって、そういうものなのね。
またまた、脱線しました。
琵琶とマンドリンは似てるぞ!と思っていましたが、ペルシャから東西に渡ったとか、ピアノが現在のようになるまでにはサイズも音も小さなクラビコードとかチェレスタとかチェンバロなどがあったのも、知識としては知っていたけれど、実物が並ぶと一目瞭然。
そして、ピアノはやはり富裕層のブランドものみたいな感じで、ずいぶん装飾が施され、インテリアの一部にもなっていたようです。
庶民の楽器と富裕層の楽器。
そして、民族楽器。
瓢箪をたくさんつけたシロフォンの原型みたいなアフリカの楽器は音階が西洋音楽と全然違います。日本の音階も相当違うのが、欧米中心主義のもと、明治以降習うようになった西洋音楽が主流になってしまったのですが、どの国、地域でも、自分たちの文化は何とか守り続けていてのトロピカルな音楽、日本の民謡や雅楽などのようです。
音楽もスポーツも、西欧系が中心になりがちとは言え、両方とも国境を越えて、人を結び付ける、感動させる普遍的な力があるよね、と思わされる展示でした。
最後に見たのは地元企業の製品、というか作品と呼びたいピアノ、電子楽器を中心とする展示室。一角に体験コーナーもありました。
ニッカウィスキーがサントリーにいた竹鶴さんが起業したように、河合楽器はヤマハから、なんて歴史もわかりました。そして、行きのバス移動中の立ちよりスポット、浜松サービスエリアに展示コーナーがあるローランドの電子楽器も、もちろんありました。
何回か立ちより、今回やっとこ気付いたのですが、浜松サービスエリアのこれ、鍵盤だったんですね。
![[画像:24771f3c-s.jpg]](https://livedoor.blogimg.jp/kaikoizumi/imgs/2/4/24771f3c-s.jpg)
スズキもヤマハ(バイクやモーターボートの方)もある浜松市ですが、音楽に対する思いは並々ならぬものと実感しました。
この後、お昼をご馳走になりながらおしゃべりを楽しみました。
鉄板腰痛は眼福や耳福でおさまってはいましたが、使わないで済んだ分も含む防寒具ぎっしりの鞄を持ち歩いての乗り換え三昧はしんどいので、エクスプレス特急券を購入し、一眠りするかと思ったら、停車駅の少ないひかりなので、もう新横浜でした。
移動だけの初日、眼福の中日、耳福の最終日、バラエティーに富んだ楽しい三日間でございました。