私の世代は、男性が稼いで、女性は家庭を守る、というのが高度経済成長期の家庭がスタンダードだったという最後のしっぽみたいな時期を過ごしています。

  上の世代で多かった結婚退職の不文律こそはなかったものの、出産後も働き続けるという選択肢は、公務員や、周囲に理解ある人たちや援助者がいる一部の人以外、かなりハードルが高いし、親世代や上司などは、当たり前の事として「保育園に子どもを預けるなんてかわいそう」と言っていました。

 男性が稼いで女性が家庭を、という片働きでも家計がそこそこ回るくらい、男性の賃金が優遇されていたという面もありますが、一方で、女性が家庭にいて、家事育児ほか諸事万々を担当しないと、家が回らない程、職場での拘束時間が長かったという時代でもありました。

  未だ、男女で家事の量が圧倒的に違うなど、上の世代のマイナス面を引き継いでいるのが否めないとは言えども、共働きが多数派になった今とはかなり違う様相でした。
  そして、そういう時代に育った男性は家事育児から免除されるのが当然とされるのがスタンダードでした。

  特にサラリーマン家庭では、家事育児など、家の中の事は「女子どもの仕事」「誰だって出来るはずの楽ちんな仕事」と思い込んで(込まされて)育った人が多数で、家庭科自体も、男子は「技術」と呼ばれ、主に日曜大工的な事や電気関係の事なぞ書かれている教科書を使っていました。一方、女性が学ぶのが「家庭」で、家事育児、裁縫、料理など。なので、私たち年代から上は、未だに「女性は機械ものの扱いが苦手だ」「男性が家事育児なんて」という刷り込みが強い人が男女を問わず多いです。
 
  片働きがスタンダードで、いったん家庭に入ってから復職する女性の働きはパートなど、家庭と両立をはかれるものが主流だったり、いったんキャリア中断のため、後から来た男性に追い抜かれてのリスタートだったりで、バリキャリ系の方以外は収入面も補佐的だったことから、致し方なく、あるいはいそいそと、女性が家事を主に担って、不均衡ながら均衡を取って来たバランスが崩れるのが、夫の定年退職です。

 我が家も例外ではございません・・・ていうか典型的なそれ。💦

 もともと家事能力が低く、やらないのが当然、ちょっと皿洗いやゴミ出しをした程度で「やってあげた」のドヤ顔満載の夫が、昼間から家の中にいて、場所を取る、テレビ取るなどならまだしも、妻の動向をいちいちチェックして「俺の飯は?」を言い始めると、もういけません。

 もちろん、中には忙しい中でも、家事育児に精を出したり、料理が趣味という男性もいたりして、そういうご家庭では、退職後、おれ様は長年仕事をして来たのだから、楽をしてしかるべき!という妻は家で楽をしていたに決まってるという、甚だしい事実誤認に基づく「ねぶた祭」(あの有名なお祭りではございません。漢字で書くと寝豚祭)な日々を送ろうとはしないので、問題はないと思われますが・・・・。

 このねぶた祭度が高い夫たち、見てると、いわゆる学校秀才(その心は社会に出たら使えない)タイプに多いように思います。

  ありていに言うと、高度経済成長期に教育ママが、息子を有名大学に合格させ、有名and/or安定な就職さえできれば、人生安泰、万々歳と勉強さえしていれば、後の事は任せなさい!で育ててしまったタイプ。

 その中でもとりわけ、自宅から離れたことがなかったり、たとえ自宅から離れても、息子に勉強やら仕事やら頑張ってもらうためという名目で、母親が掃除やら洗濯やらの応援をしに出向いてしまうような例(実際にいるんですよね、こういう超過保護ママって💦)では、依頼心の塊の超ド級ねぶた祭が完成する可能性が著しく高いです。

 とはいえ、本当に優秀な方というのは、たとえこういう育てられ方をしても、どっかで疑問を感じて飛び出したり、逆にこういうのは機会利用だと割り切るなどして、己の核を失いませんが、成績が良いだけの学校秀才って、こう言っちゃぁなんですが、地頭がすごく良い訳ではなく、受験テクニックで上級学校に進学出来たような人が多いですから、いわばパンツのゴムを伸ばしきったような状態。早くて大学合格後、遅くとも就職出来てしまえば、あとはびろろ〜ん∞が待ってる訳です。

 以下、学校秀才の事を、びろろ〜んな人と呼びます。(;^_^A

 びろろ〜んな人だと、勉強して、稼いでいたら上等。面倒ごとは誰かがやってくれる(家庭では母親、結婚したら妻、職場では部下、特に女の子と呼ぶ女性部下)のが当然。しかも、ラッキーなことに、彼らが壮年時期の社会がそういう、仕事だけしてたら上等、家庭なんていいから、職場で長時間過ごす(中身問わず)メンバーを求めている時期だったので、大きな破たんなく、過ごせた人も少なからずいたのでした(途中でリストラされる人たちが出て来たのも、彼らの年代ではありますが、今のような非正規雇用が増大する前でした)。

 びろろ〜んな人たちは、自分で考える、自分でするが苦手。そもそも、能力のあらかたを勉強、仕事という指示待ちでやればいい事に費やしてしまったので、創意工夫ダメです。探求ダメです。その割に、社会が許容していたので、自分は偉い、ひとかどの人物だという、はたから見たら妄想でしかない事を確信しているので、「えらい俺様がしもじもがやる事をやるなんて」「金払ってるんだから、何してもいいだろ」という気持ちが言動からダダ洩れです。

 びろろ〜んな人がびろろ〜んとして安閑としていられたのは、職場では部下が、家庭では女性が支えていたのに、無駄で根拠なき万能感に浸ってるもので、上から目線な上、実際は体が動かない。これじゃ、誰でも逃げ出したくなります。とはいえ、とりあえず、仕事をしてくれている分には、困ったちゃんを外と内でシェア出来ていたので、良かったのですが・・・。

 定年退職で、びろろ〜んな人の過ごす場所が家限定になりますと、妻の体調が悪くなるパターンが増えていて、主人在宅症候群なんて言葉も人口に膾炙するようになりました。男は仕事、女は家庭と、諦念と共に、あるいは積極的に受け入れていた妻が快適な環境を築いていたところに、あわよくば縦の物も横にしたくない、ほんのちょっとの手伝いをドヤ顔満開で、感謝しろよなアピールする存在が乱入という形になり、妻がストレス満載、心身に不調を来たすそうです。

  所謂心身症なのですが、実際に奥さんが病気になってしまったら、家事ダメ夫の生活のみじめさは火を見るよりも明らかです。上の世代は違うでしょうけれど、現在、定年退職ほやほや年代は、年金もカットされているケースが増えています。「金の力で何とかすりゃいいさ」などと言うのは、親からの相続財産がたくさんあったとか、よほど投資がうまく行ったなどという例外的ケースでしょう。びろろ〜んな人は教育ママに洗脳された結果のびろろ〜んなのですから、自らの価値観も我が子はいいガッコに行くべし!が至上命題なので、我が子の教育のために相当金をかけてるので、それでどころではない方が多いのではないでしょうか?

  奥さんが病気にならないなら、ならないで、びろろ〜んな人の末路は明るくなさそうです。体を動かさず、口だけ動かし、何でも頭の中で金銭に換算してしまい、「払ってやっただろう」「誰のおかげで食っている」的な言動が多発だったため、妻にも子どもにも「この人は人間ATMでしかない」「器が小さい」認識されているケースもまま見受けられます。人間的魅力を感じさせない人は、金払いが悪くなったらおしまいです。

 さすがに私の周囲では、定年退職後の夫を虐待してるというような話は聞きませんが、来たるべき日を思うと憂鬱という声は複数聞こえて来ますし、既に年金生活突入した方たちからは、うっとうしいという声も聞こえています。やっぱり、家事能力が限りなく低い存在が、家の中に常時滞在するって、ありていに言えば邪魔(掃除機かけるのにも、片付けするにも)なのは否めません。

 邪魔なんてとんでもない! 何と言う事を言うんだ! 失敬な!

 ・・・と怒ってしまう方は、口とは裏腹に、心のどこかのふか〜い部分で、自分がびろろ〜んだと分かっておられるんだろうなぁ・・・と思います。(;^_^A

 お邪魔扱いが嫌ならば、遅まきながらでも、家事技術を身につける。その場合も上から目線ではなくて、あくまでも教えを乞う形で謙虚に学ぶ・・・ってこれが長年おれ様が通ってきてしまった人にはなかなか難しいのですよね。それが無理なら、安くて健康的な趣味を作って、家を空ける時間を最大限にする。そして、妻が友だちとのランチとか、ちょっとしたお出かけなど、家計にあまり負担をかけないようにしつつ、適宜ガス抜きをしているのに対して、あれこれ干渉しない。

 空威張りだけするのびろろ〜んなまんまな人の末期はみじめです。誰からも必要とされない。でも、それは身から出た錆。誰も同情してはくれないでしょう。

  思えば、学校秀才って、可哀そうなものですね。そういう風に育ててしまった母親も罪深いものですが、それも彼女一人の罪ではなく、学校秀才を好み、便利に使いたいという社会の要請があっての事。それを思うと、流れに乗るだけじゃなくて、時には自分の頭で考えて、立ち止まるって事が大切なのだと、改めて思います。

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蛇足※日本では、生活面の自立が出来てないのは、ほぼほぼ男性ですが、大変成績優秀な娘さん自慢の方で、高学歴の娘に家事なんてもったいないで育てて、生活面で自立が出来ない女性もいない訳じゃないそうです。