自分の事は自分が一番良く分かっているとは限らないとは良く聞く言葉ですが、昨日、久しぶりにそれを思いました。

    ありがたくも嬉しくも兄宅で、我が家の手抜き水準とは違う料理上手な兄嫁のお昼をご馳走になったのですが、その時に出た話題で、そうか!と。
   それは、そもそもの端緒は私宛に来た連絡で、兄がそこそこお付き合いを続けている夫婦の事でした。

    昔、私が生まれた頃に、今の横須賀市中央図書館のある場所には米軍のかまぼこ兵舎があったんだそうです。

    日本が敗戦後、かつての鎮守府がアメリカ軍基地となって、そこからもはみ出すほどの兵隊が駐留していた時期の最後の方のようですが、そこに住んでいた、いわば転勤族アメリカ軍バージョンな一家と父母が親しく付き合っており、離日後もクリスマスカードの交換をしていました。

    私がアメリカに行った時に、かの一家のお宅を訪問した事もあり、10年近く前に(歳月の記憶もおぼろ💧)私と同い年の娘さんから連絡が来て、日本に息子が赴任していて、日本人と結婚したから行くと言う話だったかと思います。

    で、兄夫婦も交えての会食後、若夫婦は八ヶ岳の兄宅を訪ねて来たそうで、兄がfacebookをやっていた事もあり、お付き合いはそちらに移行しました。

    私の方は英語でメール書くのも面倒だし、先方も筆不精のようで、クリスマスカードが来なくなったので、何となく音信不通になってしまいました。日本人の嫁さんも可愛らしい人ではありましたが、年代ギャップがある上に、共通の趣味もなくて、こちらもいつの間にか音沙汰無しに・・・

     別に何かあったのではなく、マメに連絡しなかったから途絶えたのですが、私は去る者追わず、去る者日々に疎しなタイプなんだなぁ、と兄の話から思い当たったわけです。

      以前にも書いたのではと思いますが、私が如き小人物は交際範囲のキャパシティが決して大きくないので、相手が遠ざかった時に追いかけるをしないし、それを殊更に後悔したりも無いのです。

   ちとネット見たら、去る者追わずは冷たい、感じ悪いなんて意見もありましたが、たくさんの人とそれなりのお付き合いをするパワーが無いし、疎遠になってしまったなら、後から色々思っても仕方ないと思っています。ご縁があればまた会えるでしょうし。

    一つ思い当たるのは、子どもの頃から引っ越しやアウェイな中にいきなり放り込まれる経験が多かったのが影響しているかも知れません。

     大人になればいざ知らず、子ども時代は自分の意思では無く、ある時は殆ど泣きながら、アウェイな場所に行った(厳密に言えば行かされた)事で、友だちや知り合いとの別れ慣れしている方かも知れません。割り切らないと辛いばかりなのだから、むしろ新しい出会いを楽しみにする方向性でしのいで来たとも言えます。

    
    そして、帰宅して、もう一つ、はたと気付きました。

    こちらは人に言われて、ではなくて、この夏の愛読ブログ、筆子ジャーナルを読んでですが・・・

    視覚的にウザいの嫌いと公言している割にスッキリしない、出来ないのは、長年に渡り、平面には何か乗っているのが当然で、平面に何も無いのは、さびしいと感じているのに気付いたのでした。

     憧れてはいるけど、タンスや机の上に(特にタンスの上!)になーんにも乗ってない状態はモデルルームやインテリア雑誌、おしゃれなお店や高級お宿でしか知らない、つまり、身に付いていないものだったんです。

      家に伺うような友人たちは、気の置けない仲間だから、すごくスッキリした状態でなくても呼んでくれますし。

  ごくたまに、すご〜くスッキリしていると、おぬし出来る!スゴイ!になってしまい、友人の別の顔を見たような気持ちになってしまいますが(笑)。

    ちなみに平面を制するものは立体も制すようで、平面にゴタゴタ物を乗せないお宅は、ほぼほぼほかの場所もきれいですね。

     かくして、人付き合い面と住生活面で、自分が意識していなかった部分がわかりまして、人付き合いの方は、もうこのままでいいだろうと思う一方で、住生活面は、少しでも良いから、意識と言うか感覚改革の必要性を感じた次第です。f^_^;