久々の晴天なので、八ヶ岳行きとその後のぐずついた天気で進まなかった片付けを再開しました。
そして、気が付いたのは、単にゴミとして出すにせよ、寄贈型リサイクルショップに持ち込むにせよ、家から出したいものは殆どが貰い物だという事でした。
もちろん、自分で買ったけど、体質体型が変わり、着られなくなった服や靴なんてのもありますが、それは全体から見ると一部です(カサだけ見ると、大きめかも(^^;)。
貰い物とは、ノベルティ、粗品の類から、自分以外の家人が持ち込んだ物まで幅はありますが、自らが必要、欲しいと思っていないのに、到来したという点が共通しています。
特にノベルティはさっさと使わない限り、取っておいても死蔵化率高いですね。使わないは、即ち、必要ないか、本音は好きではないんですわ。
家人が持ち込んだモノには、単身赴任先から増えて戻って来たもの、下宿から溢れたモノなどありますが、元々自宅にあるモノばかり。たまたま自宅用が壊れたなどというタイミングでない限り、余分なのは明白です。
頑張って使うことにしたプラスチックのゴミ箱とか、ちょうどタイミングが合った息子放出の炊飯器など少々以外はみーんな死蔵してました。
そして、ご好意のいただき物。
これが一番悩むところですが、やはりさっさと使わない場合は、いくら良いものでも、本当は不用なんですよね。
でも、くださった方との思い出があり、見ると気持ちがホッとしたり、懐かしくなるものは無理に処分しないでもいいかなぁとは思います。
良いものでも、誰がくれたのかすら覚えていない場合は処分オーケー!(だいたいが引出物とか香典返しですね^^;)
貰い物の中で、最大の障壁でそびえ立つのは親、それも私の場合は母親からのモノでした。
何しろ死別して20年以上経っても残留しているんですから😅。
何回か触れていますが、一番オシャレに関心のある思春期から娘時代が欲しがりません勝つまでは!贅沢は敵だ!の世代です。やっと戦争が終わったら、今度は大事にしていた着物を売ってのタケノコ生活。
服飾モノを中心とした渇仰感からの物欲が一番強い世代だと思いますが、その世代を親に持つ私たち世代が、恐らく一番モノ余りに悩まされているのではないかと言う気がします。
何しろ、親世代からのもったいない!とたくさん持ちたい!の薫陶を受けて育ったのですから。
当時はこの渇仰世代が娘の結婚準備を仕切っており、今のように経済格差が無かったから、母親たちはおしなべて婚礼ダンスだの、結婚後に着るであろう着物などを準備したがったものでした。その前しょう戦の成人式で着物!もありましたしねぇ。
今は家具が売れない、着物が売れないとのことですが、少子化もあるかも知れませんが、渇仰世代が仕切っていた時期が異様だったのだと思います。
渇仰が無くなれば、自分の暮らし向きには合わない立派な家具や、滅多に着る機会がないのに収納管理に手間がかかる着物を持とう!という人たちは、本当に好きな人たちだけに絞られる事でしょう。
しかし、渇仰世代の物欲と、しばしば彼らからの脅迫めいた言葉(せっかく買ってあげたのに。お母さんたちは娘時代には何も買えなかったのに文句言うなんて・・・・云々💧)と共に親孝行概念を刷り込まれた私たち世代は、婚礼ダンスと着物、そのほかたくさんの親からの好意という名の荷物を背負って結婚生活に突入する人が多く、私もその一人でした。
ここで、連れ合いが恬淡としていたり、物欲が薄かったりすれば、軌道修正も若い時分に出来るケースが多いですが、物欲が強い人と一緒になった場合、軌道修正には並々ならぬ困難を伴います。
曰く、捨てちゃダメ、あげちゃダメ、バサーに出しちゃダメ。もちろん売るのもダメ!
ここにマザコンをはじめとする自分の身内が何より大事!が加わると、実親からの背負いものに、さらに姻族からの、絶対に手放しならぬ余分モノが加わってしまう訳ですな。ヽ(´o`;
一番強烈な貰い物はこういうのです。( i _ i )
我が家の場合、断捨離的に見て、家人には問題大アリですが、義母が賢明な人で、モノは小さかった我が子たちへでして、私が買えないようなキッズブランド服をいただいたり。子どもものはすぐ使えるのでありがたかったです。
そして、私の誕生日にはモノではなくて、金一封をくださいまして、大変にありがたい事でした。
私たちより下の世代だと、親が極端にひどい物不足の中で年頃を迎えたが故の渇仰がないですから、もっと合理的に判断して、過剰な物に囲まれない暮らしという選択肢を早くから選べたのではと思います。
また、私が結婚した頃は調理家電にすら花柄が付いていた時代の最後の方で、無地のポットを探すのに何箇所もまわった記憶があります。
少し待てば無印とか、スッキリシンプルな商品がたくさん出回り、これから新生活を始める人たちが羨ましかったのを思い出します。
今朝も朝ドラで戦時中のシーンを放映していましたが、物の所有こそが幸せと思い込むようになってしまったのは、この時代のあまりに無茶な生活の後遺症なんだろうなぁとまたぞろ思いました。
長々と書きましたが、昨日からは多岐にわたる貰い物を引っ張り出して、断捨離チェックしてます。
で、母が作ってくれたこんなのも・・・・・これ着てお正月の秩父宮ラグビー場で同志社vs京産大戦見に行ったけど、全然寒くなくて、ウールの着物ってすごいねと感心したのですが、後が続きませんでした。f^_^;
共の羽織の裏地がかわいい。いまどきウールの着物は値段もつかないそうですが😿、毎年七五三の時期に着物フェアをする寄贈型リサイクルショップに持参しようと思います。