
ホテルの朝ごはんです。ビジホスタイルですね。
味噌汁はありましたが、ご飯は見当たらずパンでいただきました。
暮れの気忙しい時期なので、速攻で帰宅しようかと思いましたが、せっかくこんなところに泊まったのだから、と子ども時代に祖父に連れられて以来の靖国神社にお参りしました。


巨大な鳥居は工事中。初詣に向けての看板もかけられていました。
都会のど真ん中、参道は幅広いコンクリートで、月初に訪問した橿原神宮の緑がいっぱいとはかなり雰囲気が違います。
靖國神社と言えば、毎年、閣僚の参拝が注視され、何かと取りざたされる神社ですが、A級戦犯合祀はともかくとして、戦死された方々に近しい人たちには心の拠り所かと思います。
今後、 戦による合祀がないようにとお祈りして来ました。
多分、交通費をかけてまで自主的に来ることはなさそうなので、遊就館を見るか悩みましたが、入館料千円にめげました。千円払ってほのぼのならいいのですが、恐らく心が締め付けられそうな物の展示でありましょう。やーめた。昔、祖父に連れられて零戦ほかの展示を見た記憶が仄かにあります。
祖父は10歳の冬、新年会に出た先で脳血栓で倒れ、昏睡状態のまま戻ることがありませんでしたが、四国の農村の出らしい分厚い体と(祖母に言わせりゃなーんにもせん難儀なお方だったようですが💦)、温厚な人柄と言う印象が強いです。
よう来たなぁ、と私が祖父母宅に行くと喜んで迎えてくれ、私が送った手紙やはがきを孫の成長とタイトルを付けた大学ノートに貼ってくれていました。
世論の喧しいのと別次元で、靖國神社は思い出の場所ではあります。
近隣に建っている瀟洒な建物は白百合学園の校舎で、お嬢様が集まる場所らしさが漂っていましたが、塀に貼られたカラフルなポスターから、あら、ここは近代美術館だったかしら?と思った建物。
何とインド大使館でした。
千鳥ヶ淵に面するお堀端の桜はすでに春の準備中。
一方で楓や銀杏には都会の長い秋の名残が感じられます。
昨晩最終回を迎えた西郷どん、全然見ない一年間でしたが、恐らくご出場のいとこの大山巌元帥の銅像、今は知名度が高いとは言えない(失礼!)品川弥二郎氏の銅像などとともにこの厳しい物も建っていて、ぐるりとまわりましたが説明を見つけることが出来ませんでした。
※常灯明台と言い、靖國神社への献納の灯篭の一種だったようです。
ではここいらで、と九段下から地下鉄に乗り帰途に着いたのですが、そこからが、だから、東京は嫌いなんだよー😭現象に見舞われてしまいました。
実態は浦島太郎なのに、昔東京でOLしてて土地勘あるはずという思い上がりがあり、地下鉄の日本橋駅の乗降口をチェックせずに移動したら、やたら歩かないと目指す路線に到着しない。
あげく、最寄駅にストレートに行けるはずの路線に遅れがでているらしく、駅員さんに改札を取り消してもらい、地下道を歩いて東京駅に向かうことにしたのですが、ラビリンス!
横浜駅の不細工なサグラダファミリア状態よりはるかに工期が短いと思いますが、改良工事中で、貼られた案内の矢印の向きが、上がるんだか下がるんだか、直進なんだか、さっぱり分からず右往左往。
やっとこさ八重洲を冠するビルにたどり着き、そこから東京駅へ向かうも、瞬時には分からず。現在地入りの道路側の大きな地図に助けられ、何とかJRの改札にたどり着きましたが、せっかくお泊まりで温存出来ていたエネルギーが枯れ果てた感じです。
東京って、回転ドアに入れられて回されているみたい、と言うべきか、フィギュアスケーターなら楽勝のグルグルバットをさせられている素人みたい、と言うべきか、とにかく目まぐるしいです。
しかも、名古屋とか横浜、京都なら、そう言うレベルの駅はせいぜい一つ二つなのに、東京には池袋、新宿、渋谷という大ラビリンスが複数あり、JRの駅だけとっても新橋とか品川とかもそれなりだし、あー、ちかれる。
やっぱり大いなるローカルの横浜は楽チンです。人の多さが違うし、横浜駅というラビリンスだけ乗り越えたら、あとは大したことないです。
ただいまワイドショーで取り上げられているそうな、な ハマ弁問題とか、観光にばっかり金かけてるじゃん感が横溢し、南部在住の身としては南北格差問題もあるぞと思える横浜市ではありますが、混み具合と複雑さの面では、東京よりははるかに疲れにくい構造なのは事実です。
全然褒めてる感ないですが、横浜、やっぱり好きです。