先般、ゴシップ絡みで人の不幸は蜜の味か?と書きましたが、マスゴミのゴシップに取り上げられる程の有名人でない一般人も、ずーっと順風満帆な人の方がレアで、人生のどこかで不運や不幸には見舞われるものです。

    もちろん、私も例外ではございません。

     半世紀以上生きてきて、浮き沈みもそれなりにありましたが、本当に辛い時こそ、人の本質が分かるものだな、と思っています。

     直近でそれを経験したのは、直近と言ってももう9年前になりますが、父が晦日に亡くなった時。

     その後広く普及した、いわゆるヒートショックでした。突然の別れでびっくりしましたが、もともと不正脈もあったし、最後に会った時に、ものすごく滑舌が悪くて、また普段しないような話をしてくれたので、虫の予感はありました。

   長く寝付く事もなく、多分あっという間だったのではと思うと、父にとっても本望だったのでは。

     ですが………

      だからって、悲しくないわけはありません。

    ところが、年末で年明けでないと葬儀が出来ない中、ある人が執拗に問い掛けました。『で、警察は?』。

    ヒートショックという言葉が普及する直前で、自宅での死亡は事件扱いされがちだったからですが、親を亡くしたばかりの人間にそれを聞くのか?

     耳を疑いました。そんな質問はやめて欲しい旨を伝えても、まだしつこく繰り返しました。人が父親を失い、悲しい気持ちでいる時に、まず自分の好奇心を満たすことしか考えていないのか。

    その心根の浅ましさにげっそりしました。

     相手が高齢だったので、しっかりして見えていても、ひょっとして初期の認知症になり、思いやりや理性が失われている可能性も考え、辛うじて我慢しましたが、もし壮年の人から言われていたら絶縁したかも知れません。

    一見して人当たりが良さそうでしたが、世間体を重んじ、いい学校を出て有名企業に就職するのがスタンダードらしく、話をしてもしみじみとしたものを感じさせない人でした。

    その後も表面的には障りなくお付き合いしましたが、人の不幸は蜜の味な人なんだな、と心の中では線を引き、出来るだけ関わらない事に決めました。

     逆に、普段はぶっきらぼうで愛想のない人が、実は情の深いいい人なのがわかったり、無責任な噂を面白おかしく流しまくったりする人がいる中、黙って助けてくれたりする人が分かるのも、不幸や不運に遭ったり、失敗してしまった時です。

     一方で、幸福、幸運に恵まれた時、成功した時にも、人の本質が分かる事が多いです。

    素直に祝福出来ないで、ケチを付けるくらいならまだしも、何の努力もせず(そう言う手合いはおべんちゃらを言うのを努力と言うかも知れませんね→朝ドラ『まんぷく』に出て来る世羅さんにはこの傾向あり💦)分け前に預かろうとしたり。

    尤も、不幸・不運、失敗した時には人の情に敏感になりますが、幸福幸運、成功した時は当事者は舞い上がってしまいがちなので、気が回らず、なかなか人物を見極め難いかも知れません。

    当事者より、他人の方が本質が見えやすいと思うので、信用の出来る人がそばにいて、冷静な目で見てくれていると安心。なので、そういう関係の人がいたら、大事にしなくてはと思います。