筆子ジャーナルを毎日読んで、モノ減らしのモチベーションを上げる日々、確実に必要なもの以外には手を出さない!を実践しています。

    元から買わない方だから、苦になると言う事は無いのですが、それでも、ケチンボなりに、ちょこっと何かを買うことがありました。

   例えば、京都手帖とか、手ぬぐいとか、絵はがきの類など。結局使い切れなかったりもあるのですが、見て、選ぶ時は気分が上がりますね。

    
      実のところ、最近、買わないぞ!を実践していると、終活している感じがしないでもないです。f^_^;

    彩りが生活から抜けて行く感じと言いますか、何と言いますか。多分、元々インテリアセンスに乏しいからなんでしょうね。(^_^;)

    元より家の中がスッキリしていない方なので、なおのこと、色の氾濫が、日に褪せて白茶になったような気がします。

   一方で洗われた木みたいでやや清々しい気がしないでもないのですが。つまり、有名どころではなくて、そこらにある神社や祠的な寂れた感じです。

    そう思い始めたのはつい最近なのですが、今日、二週間ぶりに行った接骨院で、常連の年上の奥さまとお話しして、感じるものがありました。

   物は生活の彩りで、物欲は生命力かも。

   足腰の衰え具合から、 おそらくアラウンド80と思しき奥さまですが、いつもきちんとお化粧をして、オシャレを楽しんでおられます。

     彼女は私が不用品を寄贈するリサイクルショップの常連さんでもあります。治療後にお店でお会いしたこともあります。

   あのお店楽しいわよね、と嬉々としてお買い物を語ってくれる彼女。素敵ですね、と褒めた服やバッグがリサイクルショップの掘り出し物だったこともあり、お買い物上手のご様子。

    断捨離したい人には助かるし、お買い物したい年金生活者にもありがたい値付けのシニア世代の味方なお店ですが、お話を伺いながら、物欲旺盛でおられるのにタジタジです。

   失礼ながら、そろそろ物を減らす方に注力された方が良いのでは?と頭の中でお節介な声が聞こえましたが、彼女の楽しそうな語り口と、病院のハシゴしてるのよ、一度座ると立ち上がるのが大変だし、ずっと立ちっぱなしでは疲れるから、もうバスでの移動は無理なの、と言う現実をお聞きすると、お買い物の楽しみが彼女の生活に張りを与えているのは間違いない!と思います。

     頑張れば動ける範囲内に、小ぶりな店内に手頃な価格で色んなものが入れ替わり立ち替わり出現するリサイクルショップは、彼女にとって楽しみな場所。そこで掘り出し物を探すのは暮らしのアクセントになっているようです。

    筆子師匠が必要最小限のモノしか持たない!のを実践出来るのは、シニアと言いつつ、後期高齢者の方々と比べればまだまだ若く、先があり、やりたいことが出来るからではないかと思うところもあります。

    自力でやりたいことが出来るならば、とりあえず必要な物だけを選抜しておいても、必要に応じて買ったり作ったり交換したり、と何らかの手段で物の入手が出来ますが、買い物に行ける場所やツールにも限りが見えて来た時には、旅行やスポーツ、習い事などなどほかの楽しみは更に容易には出来にくくなっている訳で、数少なくなった楽しみとして買うことが残るのでは?

   まだまだ元気だよ、と言ってた70代くらいまでは、テキパキと要らないものを片付け、80代半ばで逆さ縁で娘を失った後、気丈に残されたかなりの量の食器を片付けていた祖母でしたが、95歳くらいになると、本当は使いこなせない物でも欲しくて、買い物に行くのをとても楽しみにしていたのを思い出します。

      ある程度の年齢になると、食欲はもちろんですが、物欲が生きるためのエネルギーになるのかも、その燃料が無いと、生き甲斐がなくなる人たちも少なからずおられるし、自分もそうならないとは言えません。

   とは言え、モノがごちゃつく中で、書類やら小物やらの神隠し現象が多発するのも事実。片付けなきゃ!と思えて、気力体力があるうちに出来ることをしておこう!

   奥さまとのお話を心に留めつつ、今日も数点寄贈して来ました。