お片付け達人で、『だわへし』を唱えるスーパー主婦、井田典子さんの最新刊に、目隠しののれんは使うべからずという意味合いの一文を見ました。
二方向の出入り口があり、片方のリビング側にはドアがない我が家の台所。
かつては来客にゴタつく台所を見せたくない!と言うのはありました。
しかし、そんなに改まったお客人ではないので、ツーツーのまんまにしていたと思います。
それがのれんを下げるようになったのは割と最近です。
扉がないリビング側はもちろん、引戸付きの廊下に面した側にも掛けてしまいました。
ついでに、元長男の部屋で、私がお籠り部屋にしている入り口にも掛けました。
ドアを閉めてしまうと狭い空間が更に狭苦しくなる、とか、台所の廊下側には冷蔵庫があり、家人が何かしら出し入れする事が多いので、ドアを開けておいた方が良い、などの理由はありますが、最大の理由は結界をつくりたいからです。
人は不思議なもので、顔や姿がまるっと見えると、つい話しかけたくなるんですね。
家父長制踏襲家庭で育った家人は『相手はダメだが、自分が話したい時に話しかけるのはオーケー』という傾向が強い上に、家系的にかなりおしゃべりと来ています。自分が一番エライ認識なので、換気扇が回っていたり、水音で聞き取り辛いので、聞き返すと怒り出す、という厄介さもありました。
それでも家人が会社勤めをしていた時には不在時間が長かったし、私も辛くも耳と手と口を同時に動かす事が出来た年齢だったので、何とか対応していましたが、昨今、同時に複数課題をこなすが難しくなっているのに、毎日が日曜な家人は、私の姿が見えれば話しかけて来る。😥
本当のところ、何かをしている時に話しかけられるのは好きではありません。
家人にしてみれば、家事なんて誰でも出来る片手間仕事なんだから、会話の相手をするのは当然だくらいの感覚だったのでしょうが(しかし、人がやっている事を片手間扱いする奴ほど、いざとなると、その片手間仕事とやらが出来ないもんですな💢)、段取りを考えながら作業をしており、特に不得意な料理の、取り分け苦手な刻みものの時なんて、絶対話しかけて欲しくないのです。指切っちまうわ!
何度となく頼んでみたものの、軽く思われているのか、いわゆる空気読めないのか、無駄口が止められない性分なのか、その全部なのかわかりませんが、すぐに元の木阿弥。
それなら、こちらの様子がはっきり見えないようにしたら、話しかけにくくもなるだろうし、中途半端に聞こえた事を聞き返してキレられるくらいなら、全然聞こえないことにしてスルーしても、表情を見られないから大丈夫では?
で始めたのがのれんなのです。
お籠り部屋ののれんも同様。狭くごちゃついた部屋なので、のれんが掛かると、最早中をうかがい知る事が出来ない状態になります。
のれんはペラペラですが、我が家では神社の鳥居みたいなものです。
のれんの向こうにいる私は神様には遠く及ばないものの、オカミさんなのです。神事ならぬ家事を行っている時に気安く話しかけてはならぬぞ!
そして、我が家の天の岩戸に籠っている時には、天宇受売のダンスみたいな面白い事でなきゃ、寄ってはならぬぞ!
この結界のおかげで、だいぶストレスが減りました。
洗える鳥居なので、天気が上々の日に、風呂の残り湯に見合う量の洗濯物が無い時には浄める事も出来ます。(^^)
ちなみに三枚ののれんのうち、自前は一枚だけ、台所の二枚は実家整理で出て来た浴衣生地ののれんで、しかも一枚はよ〜く見たら、昭和の演歌の大御所、三波春夫さんらしきお名前入り生地でした。こりゃあ、すごく神々しい😇