起床時は前夜の雪がうっすら積もり、本当に四月?状態でしたが、日が昇るにつれ、日照時間日本一の地らしく、雪解けです。
これなら道路も凍結していないだろう、と念願の花見に。
初めて当地訪問した頃は田畑の中にお寺がぽつんとあり、路肩の適当な場所や、数少ない駐車スペースに車を置いていたのが、今や桜の時期は一大観光地と化した神代桜を擁する実相寺です。

境内は水仙の黄色とさまざまな桜の淡いピンクでこんもりしていて美しいです。
宇宙に運ばれた種がわずかだけ発芽したと言う宇宙桜、身延山久遠寺のしだれ桜の子、三春滝桜の子、根尾の薄墨桜の子、などなど有名な桜の子孫も植えられ、花盛り。
お目当がこちら、天然記念物にして日本三大桜の一つの神代桜です。
最初に来た頃は樹勢が衰える一方の時期でしたが、近年樹医さんによるお手入れで枯死の危機を辛くも脱したそうです。
が、説明板の古い写真を見ると、ちょうど祖母が生まれた頃、明治40年頃には天高く仰ぐような巨木だったようです。逆に、初めて見た頃が樹勢の衰え真っ盛り(というのも変な言い方ですね)だったようです。
お寺ならではの戒めの句、時ならぬ雪の後だけにズギュン!ですが、皆さんの目は桜ばかりに向いていて、注目した人は少ないかも。
境内からだと逆光なので、外からも。
宇宙桜の説明。六弁の花びらは遠くて探せませんでした。持参のオペラグラスをもってしても無理ぃ💧

著名桜のお子の一本。
ずっと見続けたい美しさでしたが、昼どきでしたし、あともう一箇所行きたい!
こちら近年有名になった一本桜。わに塚の桜です。
北杜市から甲府に向けて走り韮崎市にありますが、神代桜からはそんなに遠くないです。
この桜のことを教えてくださったのは、昔やっていた八ヶ岳のメーリングリスト会議室でお会いしたとってもダンディ、博識なプロフェッサーでした。その頃はわに塚の桜も、かつての神代桜のように駐車スペースがない素朴なスポットだったようです。
色んな事を教えてくださったプロフェッサーは東日本大震災のあと、東北地方在住のメーリングリスト参加者の事を心配されつつ音信が無くなり、検索をしてお亡くなりになっていた事を知ったのでした。
わに塚の桜、やっと見られました。遠いところでプロフェッサーは見守っておられるでしょうか。
桜のそばに不粋な送電線の鉄塔があるのが残念ですが、かほどさように昔は特別視されていなかったのでしょう。
足元にも春! 亡母の大好きな菫です。
春の訪れを感じつつも、今生では会えなくなった人たちを思い出すようになりました。
しんみりしましたが、風が強くて寒くなり、更にお腹も空いています。
ノーベル賞受賞の大村先生の美術館に隣接のそば処に行きました。
美術品より蕎麦!
コンパクトなお店で、わに塚の桜からの散歩コースに入っているからか、そしてシニア率が高いので、1時間待ちの表示がありましたが、もう一時半だから、直ぐに空くと思ったのは甘かったです。
45分待ちくらいでようやく着席。メニューの中から野菜天ぷらそばを選びました。

天ぷらのボリュームがかなりのもの。八ヶ岳かいわいの蕎麦屋さんなら、最低でも1200円からでしょう、という感じが900円で嬉しい!
だからの混み方もあるのでしょうね。
窓から茅ヶ岳と、手前に満開の桃も見られました。
ご馳走さま!とお会計をお願いすると、昨日、大村先生が帰られたそうですよ、との事。時にはお菓子をお土産に持って来てくださるとかで、故郷を大事にする偉人なのでした。
余談ながら、宝塚、阪急の小林一三も韮崎市の出身ですが、小林姓が関西でも少なからずだから、一般人は彼は関西人って思っていますよね。
一三翁は故郷を振り返らなかったようであります。ヽ(´o`;