今日は近所のちょこっとセレブ感あるお宅に初めておじゃましました。

    簡単なお料理、と言いつつ、凝ったお料理がステキなお皿で供され、いったいここはどこのサロン?状態。

    インテリアも美しい。
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     中学の同級生、黒歴史の友の家も、相当に美しいのですが、共通点があります。

    この歳になって遅過ぎですが、やっと、水平面にガラクタが無いと、部屋が美しく見えると思い知りました。

    長年、本棚の本の手前にはインクの吸取り紙やら、インク壺が置かれ、洋服箪笥の上には文房具や手紙、というようなのが当たり前の暮らしをしてきたので、水平面がスッキリと言う状態は、ややお高い目のレストランとか、旅館にホテル(それも、私が足を踏み入れた途端に、荷物が散乱するf^_^;)、元お屋敷の博物館みたいな、あくまでも非日常の場でしか見たことがなくて、ゴチャッとしているのが、フツーだったのです。

    なぜ、このお宅はスッキリしているのか?の回答は実にシンプルだったのに、自分の生きて来たスタンダードがゴチャッなので、目が曇っていたのです。

    そう言えば、子どもの頃、自宅に比べて、祖父母の家の応接セットの置かれている部屋はスッキリしていたと思います。祖母の管轄でした。

     けれど祖父の部屋は汚部屋ではないけれど、何かしら紙や物が堆積していて、でも、その感じが、祖父のあたたかみみたいで、結構好きでした。

     それなりにモノがあってもあたたかみが感じられる家は、葉山の母の親友の家もそうです。

   モノたちが死蔵されず使われているからだと思います。

   一方で、モノが多くて、貧乏くさい、ダサい家は死蔵品が表に出ている。はい、残念ながら我が家(義実家も典型的なそう言う家です)。

     誰も弾かなくなったピアノの上がモノだらけ、なんてのも、割と見かけるけれど、典型的なみみっちさ (^_^;)

      筆子師匠の言うところの目にノイズですね。

      本日、お邪魔した友人は、次々とお料理が出て来るのに、台所が全然散らかっていない、と一緒にご招待受けた友人の弁。

    ご本人曰く、ダイレクトメールや郵便物は要らないと即ビリビリ破いて捨ててしまうし、取っておきたいものは箱に一つだけ、など制限付きなのだそうです。

   うわー、片付けやシンプルライフ、ミニマルライフの本に書いてある通りではないですか。

     お食事の前に、練り切りのお菓子とお薄をいただき、それもまた感度しましたが、茶道に造詣が深い、というのも、彼女の美しい暮らし向きに大いに関わりがありそうです。

    若い頃、畳のヘリをどちらの足で越えるのか、とか、袱紗の折り方などで、たちまち大混乱して、それから、家元制度が面倒くさそう、と健保組合の茶道をちょっとだけかじって、あっという間に脱落したワタシ。残念でした。

     美味しいお料理やおしゃべりを楽しみながら、美しい暮らしには時間的なゆとりや経済力も必要だけれど、精神的にスッパリ!と割り切る力が一番必要だなぁ、と思い知ったウダウダ悩み、即決出来ず、先延ばしするワタシは反省したのでした。

   この性格、変えるのなかなか難儀そう。

    なぜって、高校時代、車なし、お店なしの準僻地、捨てずに取って置いたものが役立つことは再三、というか、何かのために取っておかないと後でほぞを噛む経験をしたのが、染み付いています。

    戦中戦後に極度のモノ不足を経験している、食糧も買い出しに行かねばだった都市部の高齢者にはさらに深く染み付いているでしょう。

    と言い訳して、先延ばしにしてはいけませんね。気付いたら少しずつでも改善せねば!