先日、一見して優しそうな言葉が実は自己チューなことがある旨書きましたが、一見礼儀正しそうな行動で実は自己チューな例として思い当たるのが、社会的常識とか、マナーだからと言って、実は自分が気がすむのを優先すること。

  よく聞く事例のひとつが、病気入院時のお見舞い。

  個人的に親しくて、お見舞いしてもらったことで力づけられるような関係だったら問題ありませんが、病み衰えている状態を人に見られたくないこともありますし、相手との関係によっては、お見舞いに来られることが精神的な負担になる事もあります。

  これで思い出すのが、出産後のお見舞いのこと。

  中にいたんですよ。自分のだんなさんまで部屋に連れ込んだ人が。そりゃね、一応、親戚ってくくりなんですけれど、ほとんど付き合いもなかった人で、赤の他人に等しい男性が初産でいきんで白目に出血してるは、微熱は出ているところに来られて、見せたくない寝巻姿を見られた上に、赤の他人だけに、挨拶しないわけにはいかなくて、ものすごく迷惑だったことがありました。

  ほかの親戚は女性だけで来てくれましたが、この人だけ非常識でした(もちろん、私自身の兄や父は異性といっても、家族ですからOKですが)。

  要するに、自分が気が済むことを優先しちゃったんですね。妊婦、それも初産の妊婦が、親族と言っても親しくない女性が来るのはまだしも、異性である連れ合いまで一緒に来られたら、どんなに困惑するかというのは全く想像も出来なかったようです。

 しかも本人の意識では非常識とはつゆほど思わず、「主人まで一緒に行ってあげた」(だから、感謝しろ!)に変換されているはずです。

  そう確信できたのは、その後も不本意ながら付き合わなくてはいけなくて、折々に何度か苦い経験をさせられたからです。

  世の中には、相手の気持ちより、ルールやマナーを守っているからという口実のもと、自分の気がすむことを優先する人がいるというのが骨身にしみました。

 マイルールの押し付けで自己満足して、相手の気持ちを踏みにじるタイプとのお付き合いはご免こうむります。逆に、自分も同じことをやらかしていないか、は気を付けなくてはと思いますし、自分の感性がこうだから、相手も必ずしも同じではないことも考えなくてはいけないのでしょうね。

 このマイルールさん、自分の身内に何かあったら、数をそろえて勝負! たくさん人が来たら面子が立つ!で、関係がよくない私ですらも、来て欲しいのではないかと思われます。これもまた、この人の身勝手であって、身内の意思はスルーしていることになりますが、それはそこのおうちの問題として・・・💦。

 
 私もぼちぼち終活を考えなくてはなお年ごろ。

 エンディングノートに書いておこっかなぁ。
 
 マイルールさんは、私がもし入院したとしても絶対に見舞いに来ないで欲しいし、葬儀への参列は仕方ないかもだけど、骨揚げは固くお断りします!って。

 自分の気がすむことを優先して、これだけ言っても見舞いに来たとしたら、それは私にもう治るな、早く死ねって意思表示だと理解します👿

 骨揚げしたら、子々孫々何があるか分からないぞ💀

・・・ってこれくらい強烈に言わないと、こちらの気持ちが伝わらない難儀な人、困っちゃいます。

  自分はマナー上級者。自分が来られて迷惑なはずがない、喜ばれるにきまってる!と思い込みたいのでしょうけれど、自分に都合の良い想像しか出来ない人は、心の奥底のふか〜いところでは自己肯定感が得られていないのかもと思います。
 

  ここまできっつい事を言えるようになったのも、年を取って面の皮が厚くなったのもあるでしょうけれど、防御しないと大変なことになるマイルールさんのおかげかも(苦笑)(;^_^A。

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