この夏は冷夏かもと言われていたのが、梅雨明け後は首都圏のNHKニュースは連日「災害級の暑さ」ですと報じる酷暑です。

  こんな中、来年も同じレベルの気候だったら、東京オリンピックはどうなるのだろうという懸念は相変わらず大きいです。

 7月は参院選があり、それから京アニの惨劇など、大きな事件もありました。8月になると一気に戦争関係の報道が増えますが、自身の体験として語れる方が確実に減っていく中、風化をさせないのにはどうしたらよいのかなども考えさせられます。

 また韓国との関係の悪化や、米国と中国の経済制裁など、世界の各国が内向きになっているのもひしひしと感じます。
 
 京アニに代表されるような事件を見ると、平成を通して、自己責任、自助努力を求め、直接的にお金を生み出さないことを切り捨てる傾向、生産性が低いと言われる事柄、人びとに冷淡な姿勢を強めたことも、大きなひずみを生みだしているのかなと思われます。

 もちろん、京アニの事件の犯人がしたことは決して許されるべきではないことですし、亡くなれた方たちには心からお気の毒に思い、ご冥福をお祈りしているのですが、容疑者の男性の過酷な生い立ちを見聞きすると、もっと支える何かがあったら、違っていたかも知れないとつい思ってしまいます。

 容疑者をかばうつもりは毛頭ありませんが、丹念に下見をし、わざわざ関東から暑い夏の京都に出向くまめとも言える行動力は、容疑者が精神的に安定して、自分の居場所が社会にあると思えたら、存外、いい方向にいかせていたかも知れないと思わないでもないのです。

 また、戦争経験者が減っていく中で、おとといの広島の平和記念式典のニュースに於ける扱いが軽いという意見をネットで散見しました。

 喉元過ぎれば熱さを忘れるという言葉がありますが、過去の過ちやミスを忘れてしまうと、個人でも、気配りを忘れたり、おさえるツボを外して、同じようなミスやケガをしてしまいます。加齢で衰えていたら、なおさらの大けがもあり得ます。 ましてや国レベルで過ちを繰り返してしまうとしたら、どんな惨事となるのか恐ろしいものがあります。

 今の政権中枢は多くが二世三世という世襲政治家、しかも、親世代からして、今はやりの言い回しで言えば上級国民レベルだった方が多いようです。戦時中も、特権階級は最悪の惨事は逃れられたという話は随所で聞きます。親御さん世代からの悲惨な戦争体験を聞いていないのではないかと想像いたします。

 たたき上げと言われた政治家の方々は、戦時体験を味わっているだけに、方向性の是非はあるにせよ、二度とあの思いをしたくない、人びとにもさせたくないというポリシーがありましたが、世襲政治家には痛みが伝わっていないのではないか、と思わされる言葉を耳にすることが増えました。

 生産性の低いものは要らないというスタンスは、戦争に向かう方向性と重なるものがあります。

 戦争に向かっていた時代、欲しがりません勝つまでは、ぜいたくは敵だ、隣組組織など、横並びの同調圧力が厳しく、少しでも自分たちのありようから逸脱する人、モノへのバッシングは激しいものがありました。正義感を装った嫉妬心の発露もありました。

 今、主にネットで見られる過剰なバッシング(もちろん、ネットがあるから伝わるあたたかいエピソードもありますが)や、私ですら、ときおり街中で見るキレるオヤジ現象なども、寛容さが欠けつつある社会を反映しているようです。戦争に向かった時代の不寛容さと似通ったものを感じます。自分自身も、一見正義を装った正論に見える言動に気を付けなくてと思います。

 節約生活や断捨離ではキーワードともいえる暮らしの役に立たないものは要らん。それで私も励んでいる訳ですが、これが、こと人や社会事象に対して、間違った方向に暴走すると、(自分の利益に対して)役に立たない人は要らん、金を生み出さないものは不要となってしまいます。

 大災害の時代でもあった平成。一方ではあたたかい助け合いも生まれましたが、雇用状態から、福祉まで、拝金的傾向が増殖しているのを大いに憂慮しています。

 どうなってしまうんだろう・・・これからの日本。

 参議院選挙の期間に、若者の投票率を上げるための荒療治みたいな「若者よ、選挙に行くな」というYouTube作品が流されましたが、私の年齢ですと、その動画の出演者の一人が言っていたように、先の話は自分は生きていない(から関係ない)で、恐らくは最大の悲劇が起こる前にこの世とお別れ出来るのではないかと思うのですが、子どもたち、さらにその下の世代のことを思うと、本当に心配です。
 
 微力な自分が何が出来るのか? とりあえずは、周囲の人たちと幸せや喜びを分かち合う!(その気持ちが、その人たちからさらに周囲に広がるようにと願って)を最低目標にして過ごします。

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