今回の旅、一度は談山神社に行ってみたい!と、奈良公園エリアの依水園に再訪したい!がありました。
特に行ってみたかったのは、こちらの三秀亭。
今は食事処になっているので、ぜんざいをいただきました。
お席はこんな。幸い空いている時間帯でしたので、人が写り込まずに済みました。
多分、泡の入ったような昔の窓ガラスや大きな造作以外は変わっているのではと思いますが、照明器具はともかく、天井は昔のままかも。
実は祖父母と娘時代の母は、戦時中、こちらの先代オーナーとのご縁でこの三秀亭に住まわせて頂いていた事があったそうで、時々思い出しては懐かしがっていました。
私が二十代の頃、まだ母も、小学校の同級生だったという先代もアラフィフくらいの元気盛りの時にこちらをお訪ねしたことがありました。
先代がご案内くださって、本館の立派な床の間の傷を説明してくださったのを覚えています。
戦後、依水園は米軍に接収されて、床の間にはペンキを塗られ、土足で傷を付けられたのだそうです。
三秀亭はその頃は非公開なのを見せてくださいましたが、ぜんざいをいただいた部分かどうか、土間があったような記憶がありますが、脳内でねつ造した可能性はあります。
と言うのは、祖母が調理中、火の粉が上がり、危うく文化財を灰にするところだったと語っていたので、おくどさんが土間にあると後付で妄想してしまったかも。
写真を撮らせていただけば良かったのでしょうけれど、40年ほど前にはアラフィフの普通のおばさんは、今みたいにやたらとスマホカメラで写真を撮ることはなく、カメラを持ち歩かず旅をしていたかと思います。
お店の方や寧楽美術館の方とちょっとお話しさせていただき、母の同級生だった先代は娘さんのおられる東京にお住まいと伺いました。
美術館で中国の漢字の刻印された銅製品などで変遷の展示を見てから(書道に詳しいらしい方が食い入るように見ておられましたが、私には猫に小判気味💦)、お庭拝見。
紅葉越しに見る三秀亭。
紅葉が美しいし、借景が若草山や東大寺の建造物、とすごく贅沢なお庭です。
何度か友人と奈良に来て、王道の観光スポットを優先して、依水園はスルーしていたのですが、こんなに美しいお庭なら誘えば良かったと今さら思うのは、若い頃には目がふし穴だったか、こんなに美しくお手入れされていなかったか、どちらなのでしょうか?
今回の旅行の計画中に、インスタグラム で『私は奈良派』というキャンペーンを知りましたが、何に対抗して奈良派なんだ?と思いつつ(関東から奈良への入口になる京都かな?と想像)、確かに奈良だよ!と実感します。
近鉄のキャンペーンページに行くと、撮影したその場でこんな加工が出来ます。(^^)
京都はもはや激混み過ぎて、紅葉狩りの名所ではゆっくり楽しめる感じはしないです。
それに比べると奈良は交通の便が今ひとつか、奈良公園や飛鳥エリアのように広々としているから、激混みになりにくいのがいいところです。
南大門の前だけはいつも混んでますが、脇道に入ると、静かです。
古代史の舞台を多数抱える古い都としての誇りがおおもとにありつつ、のどかなふるさとっぽさもあり、京都よりゆったりと時が流れる感じがします。
依水園訪問を果たしたので、あとはひたすらダラダラと奈良国立博物館の回廊を通ったり、興福寺境内から猿沢池に降りて、ならまち界隈から商店街をウロウロして、風景印のある郵便局に立ち寄りました。
ここで発見したのは、自称地図が読める女!のワタシ。紙の地図なら読めるが、Googleマップは全然読めないという事で、結局、中川政七商店の方に教えていただき、郵便局にたどり着きました。
中川政七商店は本店のすぐ裏手にかなり大きな敷地に何やら建設中のようで、新名所が誕生するのでしょう。
密かな想定では中川政七商店でレインポンチョの試着をさせてもらい、ことと次第では清水の舞台から飛び降りるつもりでしたが、ぱっと見展示されてないので、この目論見はやぁめた!
そして、今日の夕ご飯はここだ! 懐具合は豊かでないが、ちょっとしっかり食べたいもんね。
お泊まりの東横インに置いてある抜き書き冊子の『たのやく』にアルコール類は体の水分を奪うのでシワがよるが、レスベラトールを含む赤ワインだけはシワがよらない!と書いてあったので、ついついf^_^;
グラスが100円、250mlのデカンタが200円という安さにも釣られて、こんなに飲めるか、残すのか、と思いましたが、飲めてしまいました。
ありがたいかな、ぼっち旅のサイゼリヤ。千円ちょっとでお腹がいっぱいほろ酔いかげん♪