阪神淡路大震災から25年経ちました。

  去年も書いていますけれど、あの日の朝、バタバタしていて何も知らなかった私に電話をかけてきてテレビをつけるようにどやしつけた母の声を思い出します。

  実はあの朝、NHK山梨のローカル放送、確か5時台後半か6時台前半に祖母の人形のことを取り上げてもらっていました。事前に予定が分かっていたので、そちらのことしか考えていなかったのですが、実際にはもう地震が起きていた時刻だったかと思います。

  東日本ではまだ何が起きたかわかっていなかったのだと思います。もし分かっていたら、のんびりした趣のミニ特集など放映するどころではなかったでしょう。
 私の周囲では大きな被害に遭われた方はいなかったのですが、近所の友人の神戸在住のご母堂は、勤め先の席の真後ろの壁が崩れ落ちたけれど、出勤している時間帯ではないから、命拾いしたと話してくれたのが忘れられません。

 まさか、あの大きな震災の後、さらに大きな被害をもたらす地震が起こるとは思ってもみませんでした。
 
 1日、定時のニュースでは防災や慰霊のことに触れていました。あの時生まれた赤ちゃんがもう25歳で、まだ若いお母さまを亡くされた方が中年になっておられます。永訣や失ったものに対する辛い思いは薄れて行って欲しいけれど、亡くなった方を悼むこと、防災意識を持ち続けることは風化してはいけないと思います。

 そんなことを思いつつ、手は動かして1日過ごしました。

 昨日行った手ぬいレッスンで「次回は皆さん、着てくるのよ」と先生にはっぱをかけられましたし、今つくらないと、春になっちゃう!で課題のコートを何とか仕上げました。

 キルティングのロング丈のコートで、かなり作った感がある作品です。新規に入会された方にはかなりハードルが高いですが、今期を乗り越えたらあとは楽勝よ!とベテラン(中には年数だけ重ねてる私のようなベランダーその心は真っ平なまんまで上に上がらないー状態もいますが💦)の弁。

 ネイビーの生地、裏もネイビー(普通のキルティングだと裏は表の色柄と無関係に白っぽかったりします)。老眼エイジにとっては、ちくちくと縫い続けているうちに、電気が来る前に行灯の光で夜なべ仕事をするって、こんな感じだったのだろうかという気分になります。^_^;

 いつも同じことを言いますが「売るんじゃないんだから、いいや」に加えて「もっさいオバハンの着ている服をしげしげ見る人はめったにいない」論に基づいて、妥協の結果がこれです。

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 襟無し。だから、何とか頑張れる。ここに複雑な襟がついたりしたら、もぉ大変。

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 背中側です。


 

 このテキストの16番と19番の応用編です。

 ノーカラーだと寒いぞというときはこういう風にすればよいのです。

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 震災のことを思い出しつつも、手ぬいを楽しむことが出来るのはありがたいことです。

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