パッと見、訳の分からんタイトルで申し訳ございません。

 先週は、お笑いアンジャッシュの渡部さんのドけち不倫とやらで、ワイドショーはもちきりだったらしいですが(見てないから実態は知らない)、ご本人は事の詳細が分かる前に雲隠れして、web上で謝罪をしたのが、妻である佐々木希さんというので、一層の炎上を招いたようです。

 この時、少数から上がった声が若干30ちょいの佐々木さんが「主人」と渡部さんを呼ぶことに対する違和感。

 そんなの、他人がケチ付けることじゃないだろという反論も上がったようです。

 まぁ、ごもっともではありますが・・・。
 
 実は私も「主人」には違和感を感じる方です。

 「主」があれば「従」もある世の中。主人と言うと、お仕えする人がいるイメージもあります。

 友だちで、おおよそ現代主婦のたしなみとされることなら何でもできる人がいますが(料理、製菓、製パン、裁縫、手芸、園芸、などなど)、ちょっとおとなしい感じのだんな様が、何かの折に「僕は主人だ」と主張された時に、彼女は「私は主婦よ!」と切り返して黙らせてしまったそうでして、なかなか素敵な話でした。

 思うに、主人という言葉に対する抵抗感は、成育歴にもよるのだろなと思います。

 
・彼女は年が近く、ルックス的にも能力的にも遜色ない姉がひとり。きょうだい間で差をつけられないで来た。

・彼女の父上は高度経済成長期を主舞台とする職業人としては順当な生活を送り、母上も専業主婦ライフを謳歌出来た

 そんな状態だと「主人」という言葉に色をつけることもなく、慣用句として抵抗なく使えてしまうのだろうなと思います。



 それって、私が今「細君」という言葉を見ても、特に抵抗を感じないのと同じなんだろうかと思います。

 細君は自分の妻の事をへりくだって「つまらないもの」として他人に対して呼ぶから始まったそうで、古い作品によく「〇〇の細君が」とあるのは、あくまでも目下か同輩の妻に対して、軽い敬意をもって使うのは良いが、先輩や上司の妻などに使うのはNG語だそうです。

 細君って、もはや日常生活では使わず、文学作品で見る言葉なせいか、字を見るとはてなと思わないでもないけれど、調べない限りは、おおもとのつまらないもの扱いの部分がぶっ飛んでいますね。

 主人という言葉は、今もテレビや日常会話では幅を利かしていますが、いつの日か、細君のように、目にしても、別に気にならない語になる時が来るのでしょうか?

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