今日はほぼ1日、これを読んでおりました。
返却期限までに読まなくちゃ!と思ったのですが、最初は手が動かなかったのです。
理由は先に読んでしまったあとがきにあった「グロテスク」の語と、著者本人が本書のヒロイン、おちびになり切って書いたイラストのおどろおどろしさから。
お金を相当積まれても、スプラッターand/orホラー映画は見たくないというタイプなので、新聞の書評を見て、食指が動いたのに、手元に来たら、こりゃ読めそうもないかもと思ってしまったビビりです。
ですが、いよいよ期限が迫ってきてるし、天気は今一つで家の中にじっとしている間に出来ることはこれだ!で手に取りました。
マダム・タッソーの自叙伝の体裁の小説です。
スイスの社会の最底辺に生まれみなしごとなったマリーは、その体格からおちびと呼ばれ、奇妙な医者、クルティウス先生で無給で使われる身となります。
当時の階級社会はいったん貧しい身分に生まれたら、めったなことでは浮かび上がれない。ブラック労働を強いられ、不衛生で、栄養状態も悪い中、短命に終わることも多々。そして、町は汚い。一部の富裕層が住む場所はともかく、貧民層の住まいは惨憺たるもの。
クルティウス先生の作る蝋人形が評判を呼ぶようになり、先生がフランスに移動すると、くっついていくおちび。フランスでは仕立て屋の未亡人の家に寄留。この未亡人、貞淑そうで実は強欲でやりて。
見世物として人気を得た蝋人形で一儲けするも、おちびはあくまでも無給。おちびの彫刻の才能が認められ国王ルイ16世の妹、エリザベート王女の元で仕えている時の給金も全部ねこばば。少女であり貧困層のおちびの権利など誰も認めてはくれない状態。
ベルサイユ宮殿でおちびのあてがわれた部屋には戸棚があり、その戸棚で寝る、ご主人様の気に入りであればあるほど、戸棚からすぐに出仕しなくてはいけないという状態だったとか。
敬愛する王女からも権利は踏みにじられ、ブラック労働になっても、いつもおちびは自分の権利をあきらめることはなく、たとえ強欲な未亡人に打擲されても自分を曲げることはしないのです。
広大なベルサイユ宮殿でほんわかした雰囲気の錠前づくりの鍛冶屋とも知り合いましたが、その鍛冶屋は実は国王と後日おちびは、人いきれでむんむんした王妃の出産の場で知るのでした。
その後、フランス革命が起こり、スプラッターな事態が次々に続く。周囲がひるむような状況であっても、おちびは冷静にデスマスクを作り続けるも、崇高な志から始まった革命は、しまいには殺人競走のようになり、成人したおちび自身も断頭台に上るのを待つ身となって・・・
とまぁ、ものすごい人生双六であります。
ベルサイユのばらの連載終了後くらいに、フランス革命の本を少々読んだので、革命でどんな酸鼻な事態になったかを知っていたので、まだよかったですが、これ何も知らないで読んだら、悪い意味で刺激的です。
ですが、どんな環境であっても、己を失わない、才覚で這い上がっていくマリーの活躍に、途中からグロも忘れて、引き込まれました。
レ・ミゼラブルなど見ると、パリの街の汚らしい部分も描かれていますが、おちびの育った時代の不衛生さ、汚らしさは想像を絶するものだったようです。身分が固定されて、貧民は貧民でいるしかない。長年の鬱屈が血で血を洗うのが当然の革命へ走ってしまったのかと思われます。
幕末に日本を訪れた西欧の人が、江戸の清潔さに驚嘆したというのももっともだったのだなと・・・。
明治維新が庶民レベルではそこまで激越にならず、廃仏毀釈で寺や仏像をぶっ壊すに留まったのも、貧富の格差がフランス革命前のフランスほどひどくはなかったからかと思われました。
ただ、今の日本を見ていると、一握りの富者とお仕えする庶民で成る国、という流れにもっていきたい人たちがいるというのを感じます。
さすがに、この出生率の低さでは、フランス革命前のような牛馬と同じとか、害虫にたかられて病気が蔓延するというようなレベルには出来ないし、したくもないと思いますが、労働の面でも消費の面でも、言われたことを黙々とこなす、都合のよい人たちが求められているのではないかと・・・。
その傾向が女性の格好をしたオヤジ脳な人たちにこそ、顕著にみられるのが残念なところです。
ブラッディな活劇ではありましたが、いろいろと考えさせられる作品でした。
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理由は先に読んでしまったあとがきにあった「グロテスク」の語と、著者本人が本書のヒロイン、おちびになり切って書いたイラストのおどろおどろしさから。
お金を相当積まれても、スプラッターand/orホラー映画は見たくないというタイプなので、新聞の書評を見て、食指が動いたのに、手元に来たら、こりゃ読めそうもないかもと思ってしまったビビりです。
ですが、いよいよ期限が迫ってきてるし、天気は今一つで家の中にじっとしている間に出来ることはこれだ!で手に取りました。
マダム・タッソーの自叙伝の体裁の小説です。
スイスの社会の最底辺に生まれみなしごとなったマリーは、その体格からおちびと呼ばれ、奇妙な医者、クルティウス先生で無給で使われる身となります。
当時の階級社会はいったん貧しい身分に生まれたら、めったなことでは浮かび上がれない。ブラック労働を強いられ、不衛生で、栄養状態も悪い中、短命に終わることも多々。そして、町は汚い。一部の富裕層が住む場所はともかく、貧民層の住まいは惨憺たるもの。
クルティウス先生の作る蝋人形が評判を呼ぶようになり、先生がフランスに移動すると、くっついていくおちび。フランスでは仕立て屋の未亡人の家に寄留。この未亡人、貞淑そうで実は強欲でやりて。
見世物として人気を得た蝋人形で一儲けするも、おちびはあくまでも無給。おちびの彫刻の才能が認められ国王ルイ16世の妹、エリザベート王女の元で仕えている時の給金も全部ねこばば。少女であり貧困層のおちびの権利など誰も認めてはくれない状態。
ベルサイユ宮殿でおちびのあてがわれた部屋には戸棚があり、その戸棚で寝る、ご主人様の気に入りであればあるほど、戸棚からすぐに出仕しなくてはいけないという状態だったとか。
敬愛する王女からも権利は踏みにじられ、ブラック労働になっても、いつもおちびは自分の権利をあきらめることはなく、たとえ強欲な未亡人に打擲されても自分を曲げることはしないのです。
広大なベルサイユ宮殿でほんわかした雰囲気の錠前づくりの鍛冶屋とも知り合いましたが、その鍛冶屋は実は国王と後日おちびは、人いきれでむんむんした王妃の出産の場で知るのでした。
その後、フランス革命が起こり、スプラッターな事態が次々に続く。周囲がひるむような状況であっても、おちびは冷静にデスマスクを作り続けるも、崇高な志から始まった革命は、しまいには殺人競走のようになり、成人したおちび自身も断頭台に上るのを待つ身となって・・・
とまぁ、ものすごい人生双六であります。
ベルサイユのばらの連載終了後くらいに、フランス革命の本を少々読んだので、革命でどんな酸鼻な事態になったかを知っていたので、まだよかったですが、これ何も知らないで読んだら、悪い意味で刺激的です。
ですが、どんな環境であっても、己を失わない、才覚で這い上がっていくマリーの活躍に、途中からグロも忘れて、引き込まれました。
レ・ミゼラブルなど見ると、パリの街の汚らしい部分も描かれていますが、おちびの育った時代の不衛生さ、汚らしさは想像を絶するものだったようです。身分が固定されて、貧民は貧民でいるしかない。長年の鬱屈が血で血を洗うのが当然の革命へ走ってしまったのかと思われます。
幕末に日本を訪れた西欧の人が、江戸の清潔さに驚嘆したというのももっともだったのだなと・・・。
明治維新が庶民レベルではそこまで激越にならず、廃仏毀釈で寺や仏像をぶっ壊すに留まったのも、貧富の格差がフランス革命前のフランスほどひどくはなかったからかと思われました。
ただ、今の日本を見ていると、一握りの富者とお仕えする庶民で成る国、という流れにもっていきたい人たちがいるというのを感じます。
さすがに、この出生率の低さでは、フランス革命前のような牛馬と同じとか、害虫にたかられて病気が蔓延するというようなレベルには出来ないし、したくもないと思いますが、労働の面でも消費の面でも、言われたことを黙々とこなす、都合のよい人たちが求められているのではないかと・・・。
その傾向が女性の格好をしたオヤジ脳な人たちにこそ、顕著にみられるのが残念なところです。
ブラッディな活劇ではありましたが、いろいろと考えさせられる作品でした。