・・・って言い訳です。

 ですが、この本を読んで、やっぱりそうかなと昔のことを思い出しました。


  言い訳の中身を書く前に、新聞の書評を見て惹かれたこの本、ものすごく面白いです。

  何と著者は家人Bより誕生日が遅いではありませんか。若干30歳になる年に南極観測隊の一員となって「宇宙より遠い場所」とも呼ばれる南極大陸で1年を過ごした記録を、研究者的な部分は極力控えめに、一般人ではほぼ経験できない極寒の世界の事をユーモアたっぷりに紹介してくれています。

  こちらのブログの主執筆者による本です。



 で、南極の暮らしと、かつて私が高校生として過ごした時代の八ヶ岳南麓、寒さの程度や隔絶感は全然違うけれど、共通点があるなぁと思った次第です。

  運転免許がない女が二人、2時間に1本しかないローカル線の最寄り駅から下り15分、のぼり20分の場所に住んでいて、今みたいに宅配も発達してないし、通信販売も殆んどなかった、もちろん、コンビニとか、100均なんてものもない時代、物を確保する難しさは、八ヶ岳の高校に転校する前に住んでいた町と比べたら、南極の方に近い感じでした。気持ち的には・・・ですけど。

  親世代、祖父母世代が戦中戦後のモノの極度に不足した時代を生きていたから、何でもとりあえず取っておく習性があり、私にも「いつなくなるかわからないんだから」とマネするように指導(?)したことも大きいけれど、実際に、八ヶ岳の野中の一軒家に暮らすと、必要なものを即座に入手というのはまずかないませんでした。

  南極でもうまく据え付けられなかった器機は、補充や代替がきかず、次の期の隊員がやってくれる事を念頭に行動するという場面が描かれていましたが、日々の暮らしの中で、たとえば紙やひも、文房具と言った雑貨がすぐに必要になっても、即座には得られないわけです。

 いただきものの包み紙や紐は取っておけば、そういう時に使える!でため込みますし、文房具もギリギリではなくて、少しゆとりを持った量を持つようになります。

 食料然り。南極では水耕栽培をやっていますが(環境への影響を最小限にするために、品種等を事前に登録する必要があるとか)、生鮮品以外は備蓄品が大量に必要です。

 八ヶ岳の家では庭に家庭菜園に毛の生えたような畑を作ってましたが、厳冬期には地面に掘った穴に根菜など植えていました。あんまり食に執着がないほうだから、記憶があいまいですが、青物抜きのおかずも冬は多かったように思います。

 時折、ミニマリズム界隈から聞こえてくる、コンビニや近くのスーパーを冷蔵庫代わりに使え!なんて論外であります。

 何しろ、車が無いし、バイクは乗りましたけれど、冬場は寒くてとてもとても運転出来ないし、そもそも運転下手だし・・・(何度かこけた古傷で、未だに体重が増えてくると膝に来るから、太れないという事情もあるのです)。

 自給できちゃうから、野菜は村の中では売ってなかったし・・・。片道下りで1時間掛けて村役場に出ても、辺りには生鮮食料品店なんてまるでありませんでした。

 極地と大違いだったのは、通学をしていたという事で、スクールバスのバス停まで下りで25分、帰りは上り坂で小一時間かかりましたが、そこでバスに乗ると、一般ピープルの生活に触れる日常でしたが、そこでも、通学の帰りにちょいと違うルートを通って、お買い物なんてのはあり得ない世界でした。土曜日、バスの給油の15分間に寄れる書店がどんだけ楽しみだったことか!

 なお、今、村の紀ノ国屋こと、ひまわり市場のある場所、そこが当初のスクールバス乗り場でございまして、畑しかなかったよ〜。今は亡きバス停の名前は確か「下荒井」でしたか(いや、下新井だったかも。それとも下新居?)。

  話が逸れました。(^^ゞ

  寒さについても、南極の時期によってはマイナス50度越えの世界が描かれていますが、そこまでは行かないものの、温暖な地域から、いきなり「準へき地指定」の寒冷地に行った身に、真冬と呼ばれる季節になる前に、道路に数センチの霜が、まるで昔話の宝箱からあふれ出た輝きのように突っ立っている、踏むとざくざく言うのは驚きでした。

  温暖化した今はあり得ない話ですが(多分、ウサギ山小屋レベルですら、家の質も向上しているのもあるとは思いますが)、北側の部屋に置いたこんにゃくは一晩でぼこぼこの穴があいた凍りこんにゃくと化して、南側のキッチンで厳冬期に米を研ぐと、速攻でシャーベット状態になり、朝、洗濯をしたフェイスタオルをベランダの物干しにつるした途端に、かちんかちんの板状になって、風に揺られて頬を殴られた・・・なんてことはざらざらありました。

  何しろスクールバスの乗り場まで時間がかかるので、早起きしてましたけど、早朝5時台、火の気のない室内でも零下13度だったのは忘れられません。
  
  今は、そこまでの寒さはないと聞いていますが、高校時代、ウサギ山小屋地点よりさらに寒いと言われている清里では、公的施設のタイルが温度差でひびわれていると先生から聞きました。最低気温マイナス28度だとか言ってました。ぶるる

  寒さがきついからって、なんでものをため込むんだよ?と言われてしまうと、そういう状況だから、なおさら買い物が難しいし、かなりの寒気による劣化から、突如、物が壊れるという事態に、ありもので対応せねばという事もあったからです。

 そうそう、南極では環境保全のために、ごみは燃やして灰にするか、南極に置かずに持ち帰るかだそうですが、その昔の八ヶ岳南麓では、ごみ収集場所もなかったので、燃やすか、後は埋めるか、という感じでした。

 先日の極小女子会でも話が出たけれど、地元の方も「昔は何でもそこらへんに埋めていた」そうです。

 しかし、あれからいく歳月、前に進むしか出来ないとは言え、いちおう運転できる状態だし、村の中の田んぼや畑しかなかったところには、紀ノ国屋やドラッグストアが出来て、ちょい車を走らせたら、おされなホテルショップがあったり、でっかくて便利なホームセンターがあったり・・・とかつてとは全然状況が違います。100均やファストファッション店こそ、ちょい頑張らないとな距離にしかないけれど、コンビニはごろごろあるし・・・。

  もはや南極よりは、公共交通の便を除けば、自宅に近い環境となった八ヶ岳南麓であります(おされレストラン、観光スポットの数の多さ、アクセスのしやすさでは、自宅界隈を完全に上回っております(;^_^A)。

  だから、捨てられないのだ!は過去のものとして、訣別しなくてはいけないのでしょうね・・・たぶん。(^^ゞ

人気blogランキングへ