高齢化社会となり、70代で亡くなると、少なくとも前半の場合は、早過ぎでしたね、とお悔やみの言葉にそえられるようになりました。

  私の祖父が70歳ジャストで亡くなった時には、惜しい方でしたとは言われても、誰ひとりとして早過ぎでとは仰らなかったのが1968年頃でしたか。
  
  阪神淡路大震災とオウム真理教事件の起きた1995年に母が65歳で亡くなった時には、誰もが早過ぎですと仰ってくださいました。


  祖父が亡くなった頃の男性の平均寿命は、確か70歳内外でしたが、母が亡くなった時には女性の平均寿命は80歳越えで男性もそれに少し及ばず70代後半だったかと記憶しています。

  歳末に年賀欠礼のご挨拶をいただくと、これは早過ぎると言う還暦くらいまでの方と、失礼ながら順当かなと思う80歳以降の方とに、パッツリ分かれるようになったのは、母が亡くなったあとです。

  昨日、友人から二葉の年賀欠礼のご挨拶が届きましたが、そのどちらにも亡くなられた方が二人書かれていました。

  一葉にはご夫妻それぞれの親御さんの、もう一葉にはご自身の両親のお名前でした。

  私と同年代の友人たちの親御さんなので、年齢的に早過ぎることはないものの、コロナ禍の年に、立て続けに大事な方々を喪われ、どんなに大変だったことかと思います。

  かくいう我が家も、父が歳末の晦日に急逝し、翌年の7月には祖母が、と立て続けに身内が亡くなり、まとめて年賀欠礼のご挨拶を出した年がありました。

  百寿者の祖母はもとより、元日生まれの父も86歳を目前の死で、年をとっては不足はなしでしたが。

  長寿の時代にはめでたい事も重ねてある一方で、悲しいさびしい事も重ねてある覚悟が必要ですね。

  結婚式にお招きいただいた時に、どちらの親御さまにもお目にかかっています。

  両親を立て続けに亡くした友人のお宅にお邪魔して、直接お話しさせていただく機会もありました。

  ご冥福をお祈りいたします。


_20201118_102547
  寝起きに観てる山桜の紅葉