今朝は珍しく一人なので、リビングの本棚から、古い雑誌を引き出して、無理にならないレベルで間引きすることにしました。

 無理にならないレベルと言うのは、例えば20世紀が終わった直後とか、阪神淡路大震災直後などなど、何かしら起きて、ひょっとしたら後で見返すかも?と思うのは置いといて、それ以外の見返すことのなさそうなのを間引くと言う感じです。
  
  我が家の家計に多少はゆとりがあった頃に愛好していたフェアトレードのカタログも、以前はたまに見返して、ものに込められた思いや人と人のつながりなどを読んでいましたが、今は殆ど買えないので、これも気になるページがあるもの以外は間引き。



  気になるページに細い付箋紙を貼り付けていたので、細かいチェック抜きに付箋紙のないものだけ、ガサッと抜きました。

  付箋紙付きはまた今度!と先延ばし(^^ゞ

  紙製の紐で縛り、週末の資源回収用にスタンバイ。

  大した事をしてないのに、これだけでちょっと疲れます。だから、生前整理はお早めに!って納得です。

  同じ箇所ばかりだと飽きるし、細切れ時間に小さなところをチェック!と下着や着や洋服を入れているタンスの上の方のひきだしを開けました。

  ここは不織布マスクの箱とか旅行用の風呂敷、未使用のいただきもののハンカチなど入れてますが、普段使いしないアクセサリーも入れてます。

  箱入りの、過去日記にも書いたような重たいものもありますが、祖母、母の形見のアクセサリーもあります。

  母の形見の方は、母の死後に箱入りで持っていた祖母が亡くなったあとに兄から渡されたような記憶がありますが、祖母の形見は本人存命中に渡されたような………気もします。

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 祖母から渡された、曽祖父が買ってくれたと言う指輪。

  小粒でも当時は貴重だったというダイヤモンド。

  これまた小粒な真珠は養殖ものではないと自慢してました。

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 光モノ大好きな母ですが、父の安月給の中からやっと買えたのはサンゴとかトルコ石など、宝石というより貴石でした。

  ※どちらも当時の箱入りですが、どちらのお店も現存していないみたいです。

 我が家は私以外は男しかいません。しかも、家人Aをはじめ、誰ひとりとして審美眼はないし、モノの真贋を見分けられません。

 学生時代の後輩が自分の親御さんの家を至急片付けなくてはいけない事情になり、もう味噌クソ一緒、御母堂の真珠のネックレスさえ廃棄してしまった、と聞いて、フルタイム勤務の中での片付けで精魂尽き果てたんだろうなぁと察する一方で、もし後輩が男性ではなく女性なら、もう少し考えただろうなぁと思ったものでした。

  つまり、このまんま何も説明しないと、私亡きあと、家人たちはまんまゴミとして処理する可能性大です。

  いや、物欲の塊である家人Aは訳も分からず光モノだ!と抱え込む可能性が高いですが、家人Aが逝けば同じことになります。

  あとは野となれ山となれ! 後輩んところみたいになってもいいじゃん!

  とはとても言えないのは根っこがドケチ虫なのもありますが、やはり祖母や母の思いも伝えたいと言うのかあります。

  そこで、ちまちまと紙に来歴、換金性があるから捨てずに鑑定しなさい→ここ大事!、さもなくば八ヶ岳の兄一家に渡しなさいと書き込みました。

  最後に今日の日付と私の名前も。

  ド庶民の我が家で、祖母、母、娘の3代揃って懐具合や気前の良い配偶者に恵まれなかったので、数としてはたいしてありません。

 けど、ちまちまメモを書いていて、つくづく宝石も要らんなと思いました。

  むかーし、子どもの頃には年に一度、日本橋三越の写真館で家族写真を撮る時には、母が真珠のブローチを付けたり、祖母が何やら指輪をしたりして、子どもの私までがいわゆる一張羅を着たものですが、結婚後、そういう機会がめっきりなくなりました。

  義父母が元気な頃は、お正月になると、義実家最寄り駅近くの写真館で撮影してもらっていましたが、何かと手がかかる男の子二人で、宝石の類なんて危なくて付けられません。

  やっと手が離れた頃には、自分のそそっかしさを深く自覚。自分値で高価なアクセサリーを落としたり壊したりはイヤだ!でプチプラモノオンリーになりました。

 そして今や、お値段安くても重たいのはダメ!

  思えば着物も同じパターンでした。

  つまり、私の人生では高価な服やアクセサリーは不要だったんだなぁ。

  持てば維持管理、そして、無碍に手放せないので、今日したみたいな気遣いも必要になります。

  それが生活の潤いと言えるのも確かなんですが、余分な仕事や気疲れをもたらすのも事実です。

  と味気ないこと考えてしまうほど、現代の暮らしはせつろしく、余裕がないのかも知れません。

  一方で、着物も宝石類も、いざと言う時は換金出来る、という前提で用意されていた歴史を思うと、要らんわ!と言い放ち、買ったときを思ったら二束三文にしかならないのは、平和でものが足りているから、とも言えます。

  これは大変にありがたいことです。

  心のゆとりは欲しいけれど、着物や宝石を売れて良かった!と言う時代にはなりませんように!