今日は阪神淡路大震災の慰霊の日です。

  家人Cが5歳、家人Aは8歳、育児と家事に追われて、起きてからバタバタしていた私が大災害の事を知ったのは母からの電話でした。

  あんた、直ぐにテレビをつけなさい、何やってんの?

  生まれは東京だそうですが、転勤族だった祖父のもと、小学校時代を神戸で過ごした母にとって、思い出深い街が黒煙を上げて破壊しつくされているのを見るのは衝撃だったのでしょう。

  突然妊婦のように膨らんだおなかから気が付いたガン。既に全身に転移して、余命1年と診断されてから8か月目の事でしたが、一時的に調子が良くなっていた時期でした。

  
  戦後の平和な日本に生まれ育った私にとって、戦争報道以外に、まるで何かの映像作品ではないかと思うような惨状を初めて目にしたのが、9・11事件でしたが、それに次ぐ映像で衝撃的でした。そのあと、3・11でさらにすさまじい画面を見なくてはいけなくなることは、誰も想像していなかったと思いますが。

  近所の友人はご母堂が当時は神戸のデパート勤務で、もし早朝の震災でなかったら、お母様の席近くの壁が崩れ落ちて命はなかったであろうことを語ってくれました。また、当時在籍していた友の会では、神戸友の会の会員さんで、自宅が全壊した方が、たまたま震災当日、京都の娘さん宅に泊まりに行っていて事なきを得たという話も聞きました。

  ですが、その逆の話もあったのではないかと思いますし、特に長田区の惨状には心が痛むものがありました。

  改めて、お亡くなりになった方のご冥福をお祈り申し上げます。

  新型コロナ禍で昨年の中止を余儀なくされた神戸ルミナリエは、震災をきっかけに開催されるようになったそうです。ウィキペディアの棒引きですが「阪神・淡路大震災の発生を契機に鎮魂と追悼、街の復興を祈念して震災で激減した神戸への観光客を呼び戻す目的で毎年開催されている」とのこと。

 新型コロナウィルスという厄災に振り回されている日本ですが、今年のルミナリエは無事開催出来る状況になりますように。

  
  ※まさに観光目的として惹かれたルミナリエ見物の日記、能天気な内容ですが、貼らさせていただきます。



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