子どもの頃は高度経済成長期でした。親世代が、新たなものをどんどん家の中に入れ込んだ世代であります。
その親世代、特に母はもっとも輝きたい娘の時期に「欲しがりません勝つまでは」「贅沢は敵だ!」が幅をきかせており、勤労奉仕で授業の代わりに工場に行く日々が増えて、空襲の恐怖もありました。
昨日と今日とで店先にあった品物が変わってしまう、価格が吊り上がることも多くて、モノは大事にしないと、使えなくなった時に次が無いという事もありました。
そのトラウマからでしょうか、単にモノを買うだけではなく、「いざという時」のための予備を余分に買ったり、使わなくなったものも「いざという時に当座の代わりになる」で取っておく、という習性を身につけました。
似たり寄ったりのご家庭は多いのではないでしょうか?
その親世代、特に母はもっとも輝きたい娘の時期に「欲しがりません勝つまでは」「贅沢は敵だ!」が幅をきかせており、勤労奉仕で授業の代わりに工場に行く日々が増えて、空襲の恐怖もありました。
昨日と今日とで店先にあった品物が変わってしまう、価格が吊り上がることも多くて、モノは大事にしないと、使えなくなった時に次が無いという事もありました。
そのトラウマからでしょうか、単にモノを買うだけではなく、「いざという時」のための予備を余分に買ったり、使わなくなったものも「いざという時に当座の代わりになる」で取っておく、という習性を身につけました。
似たり寄ったりのご家庭は多いのではないでしょうか?
これを私は一種の戦争後遺症だと思います。
もちろん、戦争当時に国の内外を問わずたくさんの方々が被られた人的被害、物的被害から思ったら、全く大したことはありません。
むしろ能天気と言っていい部類ではありますが、この習性のため、生活の質が落ちてしまった、家族間でのモノに対する態度の違いから、きしみが出来たり、モノにつっかかってこけて大けがをしたり・・・と、あれから70余年を経た今になって、かえって根深い問題となっている事例を多々見聞きします。
子どもの頃、買い物は生活にきらきらしたものが増える事でした。
私が物心ついた時にテレビは家にありましたが、電話は近所の方が10円玉をもって借りに来ることもありました(当時は市内通話ならいくら話しても10円、年頃の娘さんが、長話をするので、家族が閉口していたのも思い出します)。一戸一台の電話を引くのは難しいので、親子電話などというご近所さんとシェアもありました(今となっては考えられませんが、親子電話の片方のお宅から、受話器を使って盗聴も出来ました)。
そういう文明の利器が、一軒にひとつずつになって、やがて、テレビは一人一台なんて言われるようになったりして、今や電話は一人1台以上(すみません、3台も持ち歩いているアホです(^^ゞ)。
服も庶民は家でこしらえたものでした。裕福な同級生が買ってもらったという既製服は、おしゃれできれいで羨ましかったです。子どもの靴は大きめを買って、つま先に詰め物を入れたりして、少しでも長く履けるように、と今なら足の健康によろしくないと叱られそうな事をさせられたりもしました。
外食はぜいたくで、ごくたまに、デパートの食堂で旗の立ったお子さまランチを食べられる日はとても幸せでしたし、クリスマスにサンタさんが枕もとのソックスに入れてくれるのが、M&Mのマーブルチョコ状のお菓子でも大感動でした。
※さすがにマーブルチョコではサンタさんからじゃないとばれると思ってのM&Mらしき輸入モノだったのではないかと‥‥住まいが米軍基地のある横須賀だったから、入手できたのではと思います。
とにかく、家の中に物が増えて行くのが嬉しかったあの頃・・・・
便箋、封筒、文房具と言った小学生、中学生でも手を出しやすい雑貨から始まり、自分の服よりは、おもちゃの人形、バービーやフランシーに服を増やして満足していました。
あの頃、時々、部屋の整理をして、右から左に入れ替えたり、明らかなゴミは捨てていたけれど、大人になって・・・そして、子どもを産んでからのように、あれこれ探し回る事はなかった。
結婚したての頃は家の中はがら〜んとしていたのですが、いつこんなに積もっちゃったんでしょうね。
・自分で買ったもの
・いただきもの
・必要なので買ったもの
・欲しいから買ったもの
・家族の希望で買ったもの(=自分には不要)
・勝手に(失礼!)向こうからやって来たもの
まぁ、いろいろいろいろありました。
必要なので自分で買ったもの以外が微妙です。(;^_^A
いま、そういう微妙なものたちを何とか減らして行こうとあがいている日々です。
新コロ禍で、お仕事や学業の事で、そして罹患、治療の事で苦しい思いをしている方々には申し訳ないばかりの能天気な話で恐縮ですが。
減ると嬉しい自分がいる現在、モノが増えて行くのが嬉しくて、きらきらと受け止めていたあの頃の自分には想像もつかない事態です。
戦中派の子どもではない新しい世代の人たちには、必要だから買う(必ず使う=消耗する=滞留しない)、必要なモノだけ買う・・・にほんのちょっとだけお楽しみを+で、物と向き合って欲しいです。
・CMに負けず
・ニュース記事に混ざっているコラムの「買え買え」攻勢に負けず
・あると便利はなくても平気!
・ちょっとかわいい、ちょっと素敵は本当は不用品
・プチプラ、高見えはすぐ飽きる
・・・って100均グッズ(究極のプチプラ)を激しく愛用してるあんたが言うなって・・・へ〜、すみません。🙇
人気blogランキングへ
もちろん、戦争当時に国の内外を問わずたくさんの方々が被られた人的被害、物的被害から思ったら、全く大したことはありません。
むしろ能天気と言っていい部類ではありますが、この習性のため、生活の質が落ちてしまった、家族間でのモノに対する態度の違いから、きしみが出来たり、モノにつっかかってこけて大けがをしたり・・・と、あれから70余年を経た今になって、かえって根深い問題となっている事例を多々見聞きします。
子どもの頃、買い物は生活にきらきらしたものが増える事でした。
私が物心ついた時にテレビは家にありましたが、電話は近所の方が10円玉をもって借りに来ることもありました(当時は市内通話ならいくら話しても10円、年頃の娘さんが、長話をするので、家族が閉口していたのも思い出します)。一戸一台の電話を引くのは難しいので、親子電話などというご近所さんとシェアもありました(今となっては考えられませんが、親子電話の片方のお宅から、受話器を使って盗聴も出来ました)。
そういう文明の利器が、一軒にひとつずつになって、やがて、テレビは一人一台なんて言われるようになったりして、今や電話は一人1台以上(すみません、3台も持ち歩いているアホです(^^ゞ)。
服も庶民は家でこしらえたものでした。裕福な同級生が買ってもらったという既製服は、おしゃれできれいで羨ましかったです。子どもの靴は大きめを買って、つま先に詰め物を入れたりして、少しでも長く履けるように、と今なら足の健康によろしくないと叱られそうな事をさせられたりもしました。
外食はぜいたくで、ごくたまに、デパートの食堂で旗の立ったお子さまランチを食べられる日はとても幸せでしたし、クリスマスにサンタさんが枕もとのソックスに入れてくれるのが、M&Mのマーブルチョコ状のお菓子でも大感動でした。
とにかく、家の中に物が増えて行くのが嬉しかったあの頃・・・・
便箋、封筒、文房具と言った小学生、中学生でも手を出しやすい雑貨から始まり、自分の服よりは、おもちゃの人形、バービーやフランシーに服を増やして満足していました。
あの頃、時々、部屋の整理をして、右から左に入れ替えたり、明らかなゴミは捨てていたけれど、大人になって・・・そして、子どもを産んでからのように、あれこれ探し回る事はなかった。
結婚したての頃は家の中はがら〜んとしていたのですが、いつこんなに積もっちゃったんでしょうね。
・自分で買ったもの
・いただきもの
・必要なので買ったもの
・欲しいから買ったもの
・家族の希望で買ったもの(=自分には不要)
・勝手に(失礼!)向こうからやって来たもの
まぁ、いろいろいろいろありました。
必要なので自分で買ったもの以外が微妙です。(;^_^A
いま、そういう微妙なものたちを何とか減らして行こうとあがいている日々です。
新コロ禍で、お仕事や学業の事で、そして罹患、治療の事で苦しい思いをしている方々には申し訳ないばかりの能天気な話で恐縮ですが。
減ると嬉しい自分がいる現在、モノが増えて行くのが嬉しくて、きらきらと受け止めていたあの頃の自分には想像もつかない事態です。
戦中派の子どもではない新しい世代の人たちには、必要だから買う(必ず使う=消耗する=滞留しない)、必要なモノだけ買う・・・にほんのちょっとだけお楽しみを+で、物と向き合って欲しいです。
・CMに負けず
・ニュース記事に混ざっているコラムの「買え買え」攻勢に負けず
・あると便利はなくても平気!
・ちょっとかわいい、ちょっと素敵は本当は不用品
・プチプラ、高見えはすぐ飽きる
・・・って100均グッズ(究極のプチプラ)を激しく愛用してるあんたが言うなって・・・へ〜、すみません。🙇