ケチを自認しているワタシですが、絶対に負けてると思うのは家人A。

   ただ、この人のケチは整合性が無いなと思うことも度々です。

  例えば、まだ若い頃は、当時県西部に住んでいた兄宅に行くのに、眺めのいい海岸を通りたい、と言い張って、とどのつまり高速道路代をケチり、国道で大渋滞につかまり、昼ご飯をご馳走になる約束が、夕方に到着したことがありました。

  本物の筋金入りのケチって、自分がケチとは思っていないし、人からケチと思われるのはものすごくイヤみたいで、家人Aも高速代をケチるためとは言わず、眺めがいいところを通りたいとか言うんですな。´д` ;

  それを、何と一度ならず二度やらかしまして……この人が、自分が敬愛してやまない長姉と約束すると、迷惑をかけるから、とめちゃくちゃ時間厳守させられて来ただけに、その身びいきには頭に来ました💢

  ぶっちゃけ、家人A絡みで、結構色んな目に遭わされてるのに、兄夫婦が大人な対応をしてくれているの、ありがたく思っています。

  そんな家人A、現役時代にはまだ日本に余力があったことから、結構いただきものがありました。

  また、貰い物が好きで、貰えるチャンスがあれば、昔は憧れの業態だった百貨店の粗品(あれは平成の間にいつの間にか雲散霧消しましたね、日本の経済力が落ちるのと並行するように)をはじめ、わざわざ出掛けてゲットしてました。

  まぁ、その頃は私もまだ物が増える、もらえるのは嬉しいので、めくじら立てることは無かったです。

  しかし、いただき物と言うのは、粗品だろうが、ギフトだろうが、自分の使い方と合わないことは往々にしてあります。

  知り合いや友人、親戚からのいただき物は処分がためらわれる時代ではありましたが、粗品の類ならいいじゃんか。

  と思いましたが、家人Aは我が家に何か入ってくる度に繰り返し言いました。

 それが表題にした言葉、今のワタシにしてみれば呪いの言葉ですね。

 とにかく一度手にした物は家から出してはいけないと言うのです。

  唯一出せる方法は、好みに合わなくても、使い勝手が悪くても、自宅で見るからに古びてしまうか、壊れるまで使うこと。

  そこまで使って捨てる分にはさすがの家人Aも、壊れ具合を納得すれば、捨ててOKでした。

  しかし、そのおかげで、無理やり使うのに腐心しました。

  色の統一感とか規格などバラバラで、目にうるさいことこの下無し。

  今回、工事がきっかけで洗面所周りの物を全出しして、王子様のキスで
眠りから覚めたオーロラ姫みたいに……なわけないか💧

  とにかく、自分は長い間、呪いをかけられ、不承不承使っているうちに、何が何でも使い続ける!になっちゃったんだなぁと気付きました。

 土台に節約魔があるから、呪いを呪いと思わず、絶大な効き目でした。

  まぁ、この呪いに長所があるとすれば、私がドけちゆえに、買ってさらに増やす方向には行かず、無駄遣いはあまりしなかった!と言うことであります。


  筆子ジャーナルを読み始めたのが、確か2018年でしたか。最初は適当でしたが、身を入れて読みはじめて、千個捨てにチャレンジしたり、捨てられない自分のお尻を叩いて来ました。

  今でも紙類の廃棄、可愛かった家人BとCの思い出にまつわる物を手放すのはものすごい苦痛ですが、以前なら、到底手放せなかった物も徐々に手放せるようになって来ました。

  そして迎えた今回。

  呪いに縛られ、頑張った自分、ゆっくりと解放してあげなきゃと思っています。

  以前は私の持ち物にも、捨てるな、あげるなと、口を出した家人Aも、越権行為をやめたので、コツコツ減らしを続けます。

   って、家人Aは物の多過ぎる人に特有な、何がどこにどれだけあるかわからない人なんで(見つからなくなって血圧計をダブって買ったりと無駄買いしてるけど、家計費じゃないから横目で見てます😓 )明らかに使いきれないと分かった物は、ひっそりとバザーや寄贈型リサイクルショップに持ち込みましたけどね。

 呪いの効き目の半分は、やっぱり、ワタシもドけちだからよね。f^_^;

お願い:ワレナベニトジブタと言わないでください。🙇‍♀️

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 ドけちなワタシは、割れてしまったガラスのティーポットのフタを取っておき、片付け中の昼ごはん、カップめんの押さえに転用中。💧