勤労感謝の日ではなくて、晴れの特異日である文化の日ですが、洗濯物干しながら、徒然思いました。
感謝って、自分からするもので、人に強要するものじゃないよね、って。
と言いつつも、親になると、今までも何回も感謝しなさい!と子に言って来たし、家人B、Cが薄情だと思う事があるのは、裏返せば、もっと感謝してくれてていいじゃないかと言う思いがあるからなんですね。😅
身内の厄介さはそう言うところにあるように思えます。
が、身内と言っても、配偶者を含む姻族とか、あまり日頃の付き合いが深くない親戚、そして友人、知人だと話が違って来ます。
嫁取り婚の慣習が未だに拭えないからこそ、婚姻後の姓を別にするなんてとんでもない!と言う人たちがたくさんいるものの、戦後の法律では婚姻は男女平等の建前です。
だから、夫婦ならば、互いに協力し合う建前ですが、どちらかがどちらかの行為を当然だと感謝しないとギクシャクします。
ですが、感謝を強いるともっとギクシャクします。
人は往々にして、自分がしてあげた事>人にしていただいた事となってしまいがちですが、強いられるのではなくて、自分が人さまのご好意による行動に気がつき、感謝出来る人間でありたい、と思っており、未だ修行中と言えます。
で、今朝、どうしても好きになれず、と言うか大の苦手だったある人のことを思い出してしまいまして、その最大の理由が、その人が感謝モンスターだったからでは無いか、と思い当たったのです。
別にお願いしたわけではないのに、自分がやった、してあげたと、平たく言えば何かにつけて非常に恩着せがましい。
年長者だったからもあるのかも知れませんが、時として、こちらに擦り寄って来てまで『助かってるよね』と言って、お礼を言う事を強要しました。
その一方で、こちらがかなり無理をして応じた事への感謝はなくて、まず不足の部分を指摘し文句を言う人でした。
多分、ご本人は自分がなぜ嫌われるのか、人望が無いのか、死ぬまで分からないままなのではないでしょうか?
ある意味おめでたい人かも知れませんが、会いたくない人トップ5入り確実です。
残念ながら、周囲に感謝モンスターが他にもいます。
感謝モンスターがモンスターでいられるのは、気づきがないからと思われます。
それ言ったら嫌われるとか、そう言う風にしたら敬遠されると言う区切りが分からず、自分の言動は全て周囲に好意を持って受け入れられると、勘違い甚だしいようです。
そんなふうになったのはどうしてかな?と思いますが、もちろん、全ての感謝モンスターが同じではないと思いますが、私の周囲のモンスターは、子ども時代が優等生、先生や親のお気に入りだったらしい人たちなんです。
この子のすることなら大丈夫と言う大人都合のバイアスがかかった見方をされて、人付き合いの機微に関わる事などを教えて貰えず、スルーされてしまったのではないか?と思われます。
だからの鈍感。
しかし、心奥では欠如感があるのではないでしょうか? だから人への関心は薄く感謝もおざなりだったりしながら、自分への感謝がないと不安で仕方ない。
このアンバランスも敬遠されてしまう原因ですが、それは置いて……
感謝されてこそ自分の存在意義がある→何かにつけて恩着せがましく振る舞うようになる。
人格的な根っこの部分まで悪い人ではないのに、押し付けがましさと鈍感で嫌われる、避けられる、ある意味気の毒な人かも知れないです。
容貌的にもそこそこな優等生が陥りがちな現象かも知れません。
と素人考えですが、長年に渡る観察の結果思いました。
なかなかに育てにくい子どもを授かったこと。それ以前に容貌そこそこでもなく、優等生でもなかったことに感謝すべきかも………f^_^;