今期の朝ドラ、カムカムエヴリバディを見てます(今さら気が付きましたが、タイトルはエブリバディじゃなくて、エヴリバディなんですね。寅さんがスパゲッチーと呼んでいた時代と隔世の感あります^_^)。

  親世代の、英語が敵性語になってしまったあとに、占領軍と共に英語やもどきが流れ込んで来た敗戦後の話を思い出します。
  脚本家が私より下の世代の方だから、ある程度仕方ないよねと思いつつ、戦前から座敷に椅子とテーブルで食事していたような広さ充分な雉真家の屋敷が進駐軍がパーチー開くような町で、どうして接収されてないか、なあんてついついツッコんでしまいますが、それは置いて。

  見ているうちに、我が家にもカムカムエヴリバディな歴史があったよねと思い出したのは、ちょうどクリスマスの時期だからでしょうか。

  年々歳々かったるくなり、宛先が少しずつ減ってはいるのですが、アメリカのご家庭にクリスマスカードを用意せねばの時期なのです。

  父が留学してお世話になったホストファミリーのお子さん世代に。親御さんはずいぶん前に亡くなられましたが、私もホームステイさせていただきました。

  もしお前が天国に行けたら会いたいのは誰か?と問われたらまっ先に会いたい人たちです。ドイツ系のあたたかいお人柄のご夫妻でした。

  さて、その留学絡みで、英語を使えるようにと思った父が横須賀の家でやったことは、家の裏手に建つかまぼこ兵舎訪問だったそうです。

  今の横須賀市立中央図書館の場所は『おあきやま』と地元では呼ばれていましたが、そこにベースからはみ出したのかどうか、米軍の下士官向けの兵舎が建っていました。

  小さい時の写真で『おあきやま』に置かれたジャングルジムの近くで、金髪(と思しき)の年の頃が似た女の子と遊んでいる姿がありますから、もの心つく前にはまだ兵舎があったのかも知れません。

  ついこの前まで、鬼畜米英と叫び、一般市民まで竹槍で遅いかかろうと言う土地の基地とは切り離された場所に家を構えるのですから、そこに住まなくてはいけないご家族はさぞかし不安だったことでしょう。

  最初はギョッとした反応だったらしいです。

  ですが、私が言うのも何ですが、父は愚直なだけに誠実。直ぐ誤解は解けて、6歳上の兄が幼少期には家族旅行に行くほど仲良くお付き合いしたそうです。

  向学心が無いので、英語は敵性語時代から進歩しなかった母もカタコトと身振りでお付き合い。

  将校クラスと違い、決して豊かではないのに、テーブルクロスにはきちんとアイロンをかけ、つつましいけれどステキなもてなしをしてくれる奥様に学ぶところがあったそうです。

  ある時、真夜中にドンドンと門を叩く訪問者がいてギョッとしたら、そのうちの坊ちゃんで、奥さんのお産なので助けてくれ、と言われたと母が言ってました。ご主人が不在だったようです。

  当時はまだ電話もついていなかったと思うので、父が何とかしたのでしょうか。その先は子どもの自分にはあまり興味がなくて聞き漏らしてしまい、今となっては残念です。

  そのご家族とは残念ながら昭和40年代には音信不通となってしまいましたが、次のご家族は前任者から話を聞いていたのでしょう。最初から警戒感無しにお付き合い出来たようです。

  アメリカにホームステイした時に先のご夫妻がロングドライブで五大湖のひとつ、ミシガン湖を半周して彼らに会えるようにしてくれたのも懐かしいです。

  残念ながらご夫妻は離婚されてはいましたが、同じ町内と言える距離に住むご主人のところにお子さんが連れて行ってくれました。

  ひと目でそれとわかる実直な方でした。

  ご両親も亡くなられましたが、そちらのご家族は私と同い年の娘さんの息子さんが九州に留学されたとのこと。そして日本人の女性とご結婚。その後在日米軍として駐留中に私もお会いしたことがあります。

  ちょうど円高ドル安で下士官暮らしは厳しい頃、つまりまだ日本に国力が残っている頃で、カツカツな彼らを見かね、兄が八ヶ岳にご招待したこともあります。

  父の英語を何とかしたい思いから始まったご縁、それで彼らの中には日本と強いつながりのある人が出て来た、これが我が家のカムカムエヴリバディなエピソードです。


(これらの話、だいぶ前の日記にも断片的に書いていますが、心覚えも兼ねてまた書きました。f^_^;)

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