空は鈍色。ベランダに出たら凍えそうな寒さと思ったら、ちらちら白いものが舞っていました。
割と温暖な地域がこうですから、山間部、寒冷地でまた豪雪になって、閉じ込められる方が出ませんように!
(何年か前の大雪で、もともとは八ヶ岳が屏風になってくれていて雪が少ない八ヶ岳南麓を含め、ニュース画面に現れた山梨県の地図が真っ赤に塗られ「孤立」となったのは衝撃でした)
同じ降るなら、クリスマス開けにどっかん!ではなくて、クリスマスにちょぼっとだけ降ってくれたら風情があるのに・・・
↓
午前中、まだ日差しがあった時間帯に、玄関の飾り物の入れ替えをしました。
家人B、Cが小さい頃はツリーを飾ったり我が家としては盛大に飾り付けをしたものですが、最近はちょんぼり玄関のみです。
昨年は手持ちの飾り物で、出し入れにかさばったり、もう飾らないな、と思うものは寄贈型リサイクルショップに供出してしまったので、さらにスケールダウンしているので、ちょちょちょ!で片づきました。
今年のクリスマスの飾りはもう二度と会えない伯母が作ってくれたビーズのベル、同じく父娘してホームステイでお世話になったウィスコンシンのグレートマザーの手づくりのオーナメントなど、懐かしい思い出のものにしました。
正月飾りはさらに質素。
ご近所さんとワイワイ喋るのが楽しかった手芸カフェで作った和リース、京都のイノダ本店隣に短期間だけ存在した和小物のお店で買ったちりめん細工のリース。そして、学生時代だったかOL時代だったか、まだ母が元気だった時に一緒に行った浅草の羽子板市で買ったお気に入りの羽子板です。
入替も簡単、おまけにクリぼっちはご馳走もなしの平常モードなのでのんびりしています。
が、少し前までは年末年始はせつろしくて、実は大の苦手でした。
もちろん、クリスマスの飾り物を速攻で片づけて、正月準備しなくちゃという日本風もそれに一役買ってくれましたが(海外では年を越してのクリスマスグッズもOKなのを知った時は驚きでした)・・・
子ども時代には母は大掃除だ、おせちつくりだと忙しくて構って貰えないのですが、それが一夜明けてお正月となると、祖父母、両親、兄とちんと澄まして新年を祝うまでは良いのですが、お年玉の額が違う。
祖父の世代だと、男子の跡取りで6歳上の兄が優遇は当然。そして、4という数字は縁起が悪いという事で、兄千円、私三百円でした。
が、私めは猛然と文句を言って、お年玉袋を放り投げたのです。「1歳で100円違いは分かるが、6歳の差なのに700円違いなんて不公平だ!」
実に可愛くない奴ですね。ふだんは温和だが、怒ると怖い祖父、そもそも男尊女卑なので、祖母はどうなるかと固唾を飲んだそうです。
ところが「そうか、そうか悪かった」と岩倉具視さんのお札と取り替えてくれまして、私は文字通り現金にもご機嫌でした。
男尊女卑である祖父も、小学校低学年の孫娘が理にかなった事を言うとあま〜い反応をしたようで、雷が落ちずホッとしたと、祖母はだいぶ後で語ってくれました。
しかし、その後もよろしくない。
ちょっとしたことで「新年なんだから、ちゃんとしなさい」とか「新年早々からなんだ」とふだん以上に厳しく叱られます。
特に母の反応を見ていると、それまでどんなにごちゃごちゃでも、新年というみそぎでチャラになるという感じで、子どもながらに違和感がありました(これも実にかわいくない)。
ロッキード事件で「みそぎ」という言葉が使われましたが、死人を鞭打たない心優しい(?)国民性は、同時に反省を忘れて、何かをきっかけに過去に行った過ちをチャラにしてしまう、というのとつながっているんだなと、うっすらとですが思いました。
まぁ、年末にバタバタ働きまくっていた母としては、新年にはぴちんとしたかったんだろなぁとは思いますが、そういう大変さはまだ理解できない子どもでした。
お正月が楽しいと思えた時期は、OL時代でしたでしょうか。
年末は大掃除やおせちつくりを手伝い、会社の同期に誘われて友人たちで、神宮にラグビーの同志社・京産大戦を見に行ったり、仕事をしていたからこその貴重な時間だったように思います。
ですが、結婚して、またまた年末年始は憂鬱な時期に戻りました。
暮れになると、ネット上でも頻出しますが、結婚した女性の多くが憂うつになりがちなのが、お盆(帰省する方も、帰省される方も)と正月なんですよね。
交通費が少しで済んで、宿泊費もかからない事を思ったら贅沢は言えないだろうし、年に一度くらい我慢しなさいと言われそうですが・・・年に一度だから我慢できるというのが本音でした。
実家以上に男尊女卑の義実家。 いったいいつの時代のどの地域の正月?と言いたいくらい、男はちんと座って殆ど何もしないで、女だけが忙しくバタバタする行事でした。
尤も、印象がすごく悪くなったのは、結婚して直ぐか、その次の年だったかの元日に39度の熱があったのに、家人Aが何が何でも新年会には行かなくてはいけないと怖い顔をして言い張ったからです。結局、知恵熱的なものだったらしくて、熱は引いたのですが(いっそうのこと、そのまま熱が引かなければ良かったんですが💦)、義実家の新年会とは牢獄的かつ強制的、と非常にイメージが悪くなりました。
ほかにも様々な要素が加わって、義実家の新年会とは私にとってはTHE苦行、みそぎが必要な行事になったのです。
で、子ども時代も中年以降も、年末年始は苦手だ〜!といっときを除いてず〜っと思い続けて来たのです。(;^_^A
が、もはやそれも過去の話になりました。
お子様のいる友人たちからは次々とご成婚、お孫さん誕生のおめでたい話が聞こえて来ますが、反面、年末年始は大変の声が聞こえないでもありません。
ないものねだりをするより、ここ数年はのんびりと年末年始を過ごせている事を寿ぐことといたします💮
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割と温暖な地域がこうですから、山間部、寒冷地でまた豪雪になって、閉じ込められる方が出ませんように!
(何年か前の大雪で、もともとは八ヶ岳が屏風になってくれていて雪が少ない八ヶ岳南麓を含め、ニュース画面に現れた山梨県の地図が真っ赤に塗られ「孤立」となったのは衝撃でした)
同じ降るなら、クリスマス開けにどっかん!ではなくて、クリスマスにちょぼっとだけ降ってくれたら風情があるのに・・・
午前中、まだ日差しがあった時間帯に、玄関の飾り物の入れ替えをしました。
家人B、Cが小さい頃はツリーを飾ったり我が家としては盛大に飾り付けをしたものですが、最近はちょんぼり玄関のみです。
昨年は手持ちの飾り物で、出し入れにかさばったり、もう飾らないな、と思うものは寄贈型リサイクルショップに供出してしまったので、さらにスケールダウンしているので、ちょちょちょ!で片づきました。
今年のクリスマスの飾りはもう二度と会えない伯母が作ってくれたビーズのベル、同じく父娘してホームステイでお世話になったウィスコンシンのグレートマザーの手づくりのオーナメントなど、懐かしい思い出のものにしました。
正月飾りはさらに質素。
ご近所さんとワイワイ喋るのが楽しかった手芸カフェで作った和リース、京都のイノダ本店隣に短期間だけ存在した和小物のお店で買ったちりめん細工のリース。そして、学生時代だったかOL時代だったか、まだ母が元気だった時に一緒に行った浅草の羽子板市で買ったお気に入りの羽子板です。
入替も簡単、おまけにクリぼっちはご馳走もなしの平常モードなのでのんびりしています。
が、少し前までは年末年始はせつろしくて、実は大の苦手でした。
もちろん、クリスマスの飾り物を速攻で片づけて、正月準備しなくちゃという日本風もそれに一役買ってくれましたが(海外では年を越してのクリスマスグッズもOKなのを知った時は驚きでした)・・・
子ども時代には母は大掃除だ、おせちつくりだと忙しくて構って貰えないのですが、それが一夜明けてお正月となると、祖父母、両親、兄とちんと澄まして新年を祝うまでは良いのですが、お年玉の額が違う。
祖父の世代だと、男子の跡取りで6歳上の兄が優遇は当然。そして、4という数字は縁起が悪いという事で、兄千円、私三百円でした。
が、私めは猛然と文句を言って、お年玉袋を放り投げたのです。「1歳で100円違いは分かるが、6歳の差なのに700円違いなんて不公平だ!」
実に可愛くない奴ですね。ふだんは温和だが、怒ると怖い祖父、そもそも男尊女卑なので、祖母はどうなるかと固唾を飲んだそうです。
ところが「そうか、そうか悪かった」と岩倉具視さんのお札と取り替えてくれまして、私は文字通り現金にもご機嫌でした。
男尊女卑である祖父も、小学校低学年の孫娘が理にかなった事を言うとあま〜い反応をしたようで、雷が落ちずホッとしたと、祖母はだいぶ後で語ってくれました。
しかし、その後もよろしくない。
ちょっとしたことで「新年なんだから、ちゃんとしなさい」とか「新年早々からなんだ」とふだん以上に厳しく叱られます。
特に母の反応を見ていると、それまでどんなにごちゃごちゃでも、新年というみそぎでチャラになるという感じで、子どもながらに違和感がありました(これも実にかわいくない)。
ロッキード事件で「みそぎ」という言葉が使われましたが、死人を鞭打たない心優しい(?)国民性は、同時に反省を忘れて、何かをきっかけに過去に行った過ちをチャラにしてしまう、というのとつながっているんだなと、うっすらとですが思いました。
まぁ、年末にバタバタ働きまくっていた母としては、新年にはぴちんとしたかったんだろなぁとは思いますが、そういう大変さはまだ理解できない子どもでした。
お正月が楽しいと思えた時期は、OL時代でしたでしょうか。
年末は大掃除やおせちつくりを手伝い、会社の同期に誘われて友人たちで、神宮にラグビーの同志社・京産大戦を見に行ったり、仕事をしていたからこその貴重な時間だったように思います。
ですが、結婚して、またまた年末年始は憂鬱な時期に戻りました。
暮れになると、ネット上でも頻出しますが、結婚した女性の多くが憂うつになりがちなのが、お盆(帰省する方も、帰省される方も)と正月なんですよね。
交通費が少しで済んで、宿泊費もかからない事を思ったら贅沢は言えないだろうし、年に一度くらい我慢しなさいと言われそうですが・・・年に一度だから我慢できるというのが本音でした。
実家以上に男尊女卑の義実家。 いったいいつの時代のどの地域の正月?と言いたいくらい、男はちんと座って殆ど何もしないで、女だけが忙しくバタバタする行事でした。
尤も、印象がすごく悪くなったのは、結婚して直ぐか、その次の年だったかの元日に39度の熱があったのに、家人Aが何が何でも新年会には行かなくてはいけないと怖い顔をして言い張ったからです。結局、知恵熱的なものだったらしくて、熱は引いたのですが(いっそうのこと、そのまま熱が引かなければ良かったんですが💦)、義実家の新年会とは牢獄的かつ強制的、と非常にイメージが悪くなりました。
ほかにも様々な要素が加わって、義実家の新年会とは私にとってはTHE苦行、みそぎが必要な行事になったのです。
で、子ども時代も中年以降も、年末年始は苦手だ〜!といっときを除いてず〜っと思い続けて来たのです。(;^_^A
が、もはやそれも過去の話になりました。
お子様のいる友人たちからは次々とご成婚、お孫さん誕生のおめでたい話が聞こえて来ますが、反面、年末年始は大変の声が聞こえないでもありません。
ないものねだりをするより、ここ数年はのんびりと年末年始を過ごせている事を寿ぐことといたします💮
年末年始はおろか、季節の行事も、だんだんと、やらなくなってきましたね。
我が家は、玄関だけは、毎年、干支の白磁の置物を飾っています。
母が送ってきていたもので、重宝しています。
毎年、出すたびに、母の事を思い出します。
義実家に帰省していたのも、家人B,Cが小学生までだったような。義実家は九州なので、ご多分にもれず、バリバリの男尊女卑です。年に1回なので、どうにかやり過ごして、いましたね。