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  今日は午後から近所の友人宅にお邪魔して、桜餅とお抹茶を皮切りに、色々美味しいものを頂戴しつつ、楽しくおしゃべりしたのでした。

  新コロ禍を通して、変わったことはいくつかありますが、1番変わったなと思うのは人づきあい。
   ご家族やご自身に持病がある、小さなお孫さんのお世話をしているなど、何がなんでも感染したくないという人とは、なかなか会えなくなりました。

   また職場での感染症対策が厳しいという人とも、あまり会えなくなりました。

   そういう事情がなくても、コロナ禍で出歩くなんてとんでもないとか、自粛警察みたいな考え方をする人(自粛警察的な知人、他人のマナー違反をあげつらう割に自分は密になる場所を含むお出かけ自慢したりして、あれれってところがあるんですが💦)とは、こちらの行動をそのまま話すとひんしゅく買いそうで会いたくなくなりました。

  今日会った友人も、結構お出かけしているのですが、話すのは相手を選ばないとと言ってました。

  今まで同じような価値観だと思っていた人に、お出かけの話をしたら、めちゃくちゃバッシングされて、絶交状態になったとか。💦

  対コロナ価値観があまりずれてない友人なので、お茶しながら、行ってきたところの話や、この先どっか行きたいね〜と、妄想計画をしたりで話が弾みました。

  読書好きでもある彼女が貸してくれたのが冒頭の写真の2冊。

  いや〜、幸田文さん。

  今の私より若かった(でも当時の私にはもう十分おばあちゃんに見えた(^-^;)祖母の憧れの人が幸田文さんでした。講演会だか何だかで一方的にお目に掛かる事が何回かあったようですが「本当に素敵だった、こうとな帯をしめていらして」などと言ってました。

 この時聞いた「こうと」という言葉。子どもだったのでコート?と思いましたが、その後何回か聞いているうちに辞書を引いたわけでもないのに、渋いというかシックと言うか、要するにこれみよがしの派手さがないのだが、しっくりと落ち着いてあか抜けているという位の意味なんだろうなと分かりました。

 この「こうと」が実は京都でしか通じない言葉だとつい先年知りました。

 新コロ禍を経てもよくおしゃべりしている今日の友人は神戸出身、もう一人よく会う友人は大阪出身。この二人に聞いてみても「こうとなんて聞いたことがない」と言ってました。

 「きもの」というタイトルの作品。お抹茶でもてなしてくれるくらいなので茶道を習い、着物でお出かけもする友人にとっては、着物オンパレードの物語で読みごたえがあったようです。

 しかし・・・若い頃から案山子に着物を着せたみたいだった自分なので、親の願望に負けて無理やり着物を持たされ買わされましたが、とんと知識がありません。果たして読めるのか?

  そもそも幸田文さんが「あの何かとうるさいおばあちゃまの憧れの人」という時点で敬遠しておりましたし・・・。(^^ゞ

 そして太宰治の「津軽」。
 
  太宰治の作品は2、3くらいは読んだことがあると思いますし、独特の暗さにハマる時期もありましたが、その後は「こんな暗いもん読んじゃおれん」という心境となり、そのトンネルを抜けたら、能天気の老眼になって、娯楽作品か実用書ばかりに走っております。

  ありがというと言って借りてしまって良かったんだろうか・・・建築好きな友人と、適当に語れるが故に、買いかぶってくれてしまっての貸し出しであろうか。

  読んだら貸すねと言われた井上章一氏と京セラ美術館館長の青木 淳氏の「イケズな東京」の方が直ぐに読めるよ〜、今貸してくれてもいいよ〜と内心思いながら、よりお堅い目の本を2冊持ち帰ったのでありました。



  
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