もういいよね、ここに写っている人はおそらく全員この世にはいないから、顔出しでも。
左端の女性はお手伝いの方ですが、真ん中に写っている少女が今存命なら93歳ですから、たぶんもういらっしゃらないかと思います。
背景に注目していただきたいのです。
昭和12年正月と裏書がありましたが、その頃の自称ちょっとインテリかもの家のインテリアにはズラーっと並ぶ本が欠かせないようでした。
私が生まれ育った家、幼稚園時代の改装前には玄関を開けるとまず目に入るのがズラーっと並ぶ本が収まった古めかしい本棚で、多分、この写真の背景にある本もかなり含まれていたのではと思います。
そこから、かびくさいような経年劣化した紙が放つ独特のにおいがしたものです。
高校の時、中勘助の『銀の匙』を読んだ時、時の動きが淀んだような描写があったかと思いますが(記憶違いかも💧)、ああ、昔のうちの玄関みたいだ、と思い、そこから彼の世界に引き込まれました。
その後、引っ越し先の書斎と呼ぶほどではない3畳ばかりの祖父の小部屋にも本棚があり、旧仮名つかいの古めかしい本に、たまに『頭の体操』『あっと驚く手品と奇術』と言ったベストセラーやハウツーものが混ざっていて、そちらを取り出して読むことがありました。
何しろ子どもの頃から、家に本がある、それもかびくさいような旧仮名づかいの本がたくさんある、そんな環境で育ったしまったので、本とは、古いもの、読んでないものも手放さず、貯金と同じように貯めるものなのだと思うようになったのでした。
おかげさまで、少しなら旧仮名遣いの本を読めます。私のお気に入りに柳田國男さんの戦時中の著書と、表紙が破れていて祖母がとっくになくなった安田信託銀行のリスの絵はがきを貼って表紙を付けてくれた童話の本があり、その2冊は繰り返し読みました。
前者は日本の伝承、後者は青い鳥を冒頭に置いた翻訳と言うか翻案の西欧童話のようです。両者ともいかにも古めかしい挿絵が添えられて、古い時代の空気が立ち上るような気がしました。
本はタイムマシンでもある、と思ったものだから、ますます手放しがたい存在になったのです。
その流れで古い本、それももはや誰も知らないような当時の実用本みたいなものほど手放しがたいです。
本に限らずですが、物は歳月を重ねてしまうと、使っていなくても愛着が湧いてしまったり、歴史的な意味がある、などなど自分にとっての価値が増してしまい手放すのが難しくなる、それを人生後半に入って日々実感しています。
物が無かった時代ならいざ知らず、これだけ物あふれな世の中では、ご家族や近しい方の中に、歴史や文学をはじめとする研究者の素養がある方や、もの書きとして史料が必要な方がいる、あるいはそうなりそうと言う時以外はさっさと手放すのが正解のようです。
我が家もずいぶん前から、そういう素養が無しとわかってはいたのですが、ほのかな期待を持ち続けていたのです。f^_^;
ですが『何も要らない、全部捨ててやる!』と豪語されるに及んで、こりゃ自分の代でなんとかせにゃ!と遅まきながら決意した次第です。
なお、祖父母が腰掛けている籐の椅子、子ども時代に横倒しにして、4本の脚をロケットの噴射口に見立てて操縦士気分で背の部分に座り遊んでました。
この椅子、なかなか座り心地が良いので、祖母が生地を張り替えて、存命中、つまり十余年前までは現役でしたが、今は何処に?
このように物持ちが大変いい家に育っている者が、昨日書いたような状態の者と一緒になったのですから、もぉ大変!
要領を得ない長たらしい文章の末尾に
本日の教訓!
愛着や時代の箔がつく前に使わない物はサッサと手放すべし!