長くご覧くださっている方ならお気づきかと思いますが(いや、すぐにわかるかも?)、結構毒舌の方です。
でも、対面ではふだんは気を付けているつもりです。
口にかんぬきをかけていると言いますか・・・
ところが、何かの拍子でかんぬきがスコンと抜ける事がありまして、今日久しぶりにやらかしちゃいました。
かかりつけの歯科医院で、3月末に作ったマウスピース並びに歯の定期点検、お褒めの言葉をいただきました。
で、先生は以前お話した私の味覚障害の事を気にしてくださって、舌のチェックもしてくれたのですが、僕のところでは様子を見るしかないとおっしゃられました。
ワクチン2回目接種後に出て来たので、ワクチン合わなかった可能性もありますが、おばあさんになったからという事だとどうしようもないですね、と言うと先生も社交辞令で打ち消しつつも苦笑い。
その時、頭の中では別のところで言われた事を思い出していたのですが、口からぽろっと出たのです。
「治せない時の定番のセリフが老化現象ですよね」
あちゃ〜〜〜!!
すぐ気が付いて、すみませんと謝って、先生もいえいえと言ってはくださいましたが、温和な先生になんちゅう事を言うんだ(温和な先生だから出ちゃったというのも否めませんが
)。
全然別の診療科で言われた事を思い出してしまって、つい口から出てしまいましたが、目の前の先生に自分の事を言われたと思われても仕方ない状況です。
せめて「治せない」じゃなくて「治らない」、「セリフ」じゃなくて「言葉」だったら、だいぶマシだったと思いますが、めちゃくちゃイヤミに聞こえる言い方をしてしまって反省してます。
無事にお支払いも済ませて、買い物によりながら、自分のおばかな失言にちょこっと落ち込んでおりました(患者さん多いですから、恐らくいちいち覚えてはいられないだろうと・・そこは自分に都合よく考えてますが)。
ちょこっと落ち込みつつ、世の中には、失言、暴言をしても、全く反省せずに度々繰り返す人がいる、しかも、はたから指摘されても、そんな事を言った覚えがないと開き直る人がいるのは何でだろうと、歩きながら思いを巡らせていました。
というのは、ごく少数ながら身近にそういう人がいて、何度も嫌な思いをしたからです。
帰宅してから、近所の友だちが貸してくれた本の続きを読んでいて、まさにその答えを見つけました。
この本の第3章、「『褒める』は危険」の132ページに「頭がいいね」と褒められた子についての記述があります。
昨今隆盛の子どもは褒めて育てろ!に対して、無条件かつワンパターンに「頭がいい」と褒めるのではなくて、努力の課程を認めたほめ方をする方がいいなどと話は展開するのですが、ここ、まさに、私が苦手な暴言癖がありながら、自分が言った事を忘れてしまう人たちの事みたい!
彼らの共通点は、母親から頭がいい、優秀だと褒められ続けて、そう思い込んでしまったらしいという点です。
ですが、失礼ながら、客観的に見ても、本当に頭がいいのではなくて、学校のテストで点数が取れている、学級委員になった、など見た目で分かるところだけで評価されていたっぽいのです。
頭が良かったら、言う訳ないじゃんというような暴言、失言多々で、周囲が敵だらけになったり、友だちと呼べる人がいなかったりしているわけですから、とても賢いとは思えない💦。
この人たち、自分が知らない事を知らないと認められない、ライトな嘘つきな場面も何度か目にしたことがあります。ああ、そんな事知ってるとしゃあしゃあというのですが・・・それついさっき知らないって言った事じゃん💢。
暴言を吐くなんて人望もあつく(と信じている)「頭のいい優等生」の自分がやるはずないと思い込んでいるから、暴言を指摘されても言ってないと平然と言えるし、「頭がいい」人に見せなきゃだから、知らない事を知らないと言えないんだなと・・・
大変に腑に落ちました。
口のかんぬきが外れてしまって、失礼な事を言ってしまったけれど、それを自覚している自分は(知らず知らずに相手にとっては暴言や失言としか聞こえない事を言う失礼している事はあるかも知れませんが)、周囲からテストの点数など、数字や形で分かる事以外の部分も見て貰えていたからなんだなぁと・・・ありがたく思うのでした。
ま、無条件に頭がいいと褒められるレベルの点数を取っていなかったことが「頭がいい」と言われないで済んだ理由としては1番大きいですけどね。(^_-)-☆
二十歳過ぎればただの人とか、大器晩成という言葉があるのも、こう言った事なのかも知れませんね。
失言からの本日の学び:人をほめる時は、地位や点数などのパッと見で分かりやすい事で褒めるのではなくて、その人のやっている事をちゃんと見て褒めるのが大事!
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かかりつけの歯科医院で、3月末に作ったマウスピース並びに歯の定期点検、お褒めの言葉をいただきました。
で、先生は以前お話した私の味覚障害の事を気にしてくださって、舌のチェックもしてくれたのですが、僕のところでは様子を見るしかないとおっしゃられました。
ワクチン2回目接種後に出て来たので、ワクチン合わなかった可能性もありますが、おばあさんになったからという事だとどうしようもないですね、と言うと先生も社交辞令で打ち消しつつも苦笑い。
その時、頭の中では別のところで言われた事を思い出していたのですが、口からぽろっと出たのです。
「治せない時の定番のセリフが老化現象ですよね」
あちゃ〜〜〜!!
すぐ気が付いて、すみませんと謝って、先生もいえいえと言ってはくださいましたが、温和な先生になんちゅう事を言うんだ(温和な先生だから出ちゃったというのも否めませんが

全然別の診療科で言われた事を思い出してしまって、つい口から出てしまいましたが、目の前の先生に自分の事を言われたと思われても仕方ない状況です。
せめて「治せない」じゃなくて「治らない」、「セリフ」じゃなくて「言葉」だったら、だいぶマシだったと思いますが、めちゃくちゃイヤミに聞こえる言い方をしてしまって反省してます。
無事にお支払いも済ませて、買い物によりながら、自分のおばかな失言にちょこっと落ち込んでおりました(患者さん多いですから、恐らくいちいち覚えてはいられないだろうと・・そこは自分に都合よく考えてますが)。
ちょこっと落ち込みつつ、世の中には、失言、暴言をしても、全く反省せずに度々繰り返す人がいる、しかも、はたから指摘されても、そんな事を言った覚えがないと開き直る人がいるのは何でだろうと、歩きながら思いを巡らせていました。
というのは、ごく少数ながら身近にそういう人がいて、何度も嫌な思いをしたからです。
帰宅してから、近所の友だちが貸してくれた本の続きを読んでいて、まさにその答えを見つけました。
この本の第3章、「『褒める』は危険」の132ページに「頭がいいね」と褒められた子についての記述があります。
「頭がいい」と褒められた子どもは、自分は頑張らなくてもよくできるはずだと思うようになり、必要な努力をしようとしなくなる。
「本当の自分は『頭がいい』わけではないが、周囲には『頭がいい』と思わせなければならない」と思い込む
「頭がいい」という評価から得られるメリットを維持するため、ウソをつくことに抵抗がなくなる
昨今隆盛の子どもは褒めて育てろ!に対して、無条件かつワンパターンに「頭がいい」と褒めるのではなくて、努力の課程を認めたほめ方をする方がいいなどと話は展開するのですが、ここ、まさに、私が苦手な暴言癖がありながら、自分が言った事を忘れてしまう人たちの事みたい!
彼らの共通点は、母親から頭がいい、優秀だと褒められ続けて、そう思い込んでしまったらしいという点です。
ですが、失礼ながら、客観的に見ても、本当に頭がいいのではなくて、学校のテストで点数が取れている、学級委員になった、など見た目で分かるところだけで評価されていたっぽいのです。
頭が良かったら、言う訳ないじゃんというような暴言、失言多々で、周囲が敵だらけになったり、友だちと呼べる人がいなかったりしているわけですから、とても賢いとは思えない💦。
この人たち、自分が知らない事を知らないと認められない、ライトな嘘つきな場面も何度か目にしたことがあります。ああ、そんな事知ってるとしゃあしゃあというのですが・・・それついさっき知らないって言った事じゃん💢。
暴言を吐くなんて人望もあつく(と信じている)「頭のいい優等生」の自分がやるはずないと思い込んでいるから、暴言を指摘されても言ってないと平然と言えるし、「頭がいい」人に見せなきゃだから、知らない事を知らないと言えないんだなと・・・
大変に腑に落ちました。
口のかんぬきが外れてしまって、失礼な事を言ってしまったけれど、それを自覚している自分は(知らず知らずに相手にとっては暴言や失言としか聞こえない事を言う失礼している事はあるかも知れませんが)、周囲からテストの点数など、数字や形で分かる事以外の部分も見て貰えていたからなんだなぁと・・・ありがたく思うのでした。
ま、無条件に頭がいいと褒められるレベルの点数を取っていなかったことが「頭がいい」と言われないで済んだ理由としては1番大きいですけどね。(^_-)-☆
二十歳過ぎればただの人とか、大器晩成という言葉があるのも、こう言った事なのかも知れませんね。
失言からの本日の学び:人をほめる時は、地位や点数などのパッと見で分かりやすい事で褒めるのではなくて、その人のやっている事をちゃんと見て褒めるのが大事!