選挙結果が出ました。与党が勢力拡大で、改憲に向かって動き始めると言われています。

  イエ制度復活とか、徴兵制とか、消費税アップなどなど、暮らし向きが悪くなる、不安になる、不自由な方向への改定はしないでいただきたいものです。

  与党の勢力拡大には安部元首相の悲報も作用したのではという論と、そうではないという論が出ているようですが、ひとつわかったのは、狙撃犯は家族が某宗教にハマったために不幸になって、その宗教とつながっていると思った安部さんを報復のために狙ったらしいという事でした。

  もちろん、どんな理由にせよ、人を害するのは許される事ではありませんが、カルトっぽい宗教にハマる怖さは、昭和の時代に消費生活相談員をしていた母からずいぶんと聞かされていました。
  母の仕事は悪徳商法にはめられた人と相談して、出来る事なら業者を呼び出して解約を迫るという事も含まれていたようですが、当時大騒動になった純金商法の豊田商事も相当悪辣だったけれど、1番怖いのはカルト系宗教のやっている霊感商法だと語っていました。

 他の悪徳商法は、反省の有無は別として、悪い事をしているという意識が見えるけれど、霊感商法の場合、全く悪びれない。救ってあげている、いいことをしてあげたのだと、売る側が信じ切っていて、何かが憑依しているみたいで、とても気味悪かったと言っていました。

  代表的な手口が「お宅の庭に〇の木がありますね」とかいう(当時の住宅に生えていそうな木を使う。もちろん、その前に相手が一戸建て庭付きに住んでいるかくらいは確かめているはず)ところから切り出して、相手が「そうです、よくお分かりですね」と驚くと「その木が○○で、××になります。この壺を買えば大丈夫」ってな方法で切り込むんだそうです。

  元から悩んでいる人は、相手の言葉にするするハマるらしいです(〇の木が庭にない場合は「そうですか、それは良かった、では今の幸運を守るために」式に変える)。

  入信後、高額なお布施などから疑問を抱き、組織から抜けようとすると「天罰が下る」式な事を言われて脅されてしまい、ずるずる深みにはまって、家族に内緒で何百万と借金をこしらえてしまう例も見たそうです。

  ちなみに家族に内緒にしてしまうのは、夫がモラハラ、パワハラだったりして、人の話を聞かず直ぐに切れるなどで、相談出来ないからというのもあったようで、そんな人と生活を共にせざるを得ない苦しみのためますます天罰を恐れるようになってしまう負のスパイラルにはまるのです。

image

 西洋でもこういうものを売って、信者さんたちを脅していた時代があったようでございますね。それが教会の腐敗となって、宗教改革にまで至った・・・とこれは歴史で習いました。

 しかしなぁ・・・

 本当の神様、仏様というのは、そんな風に「天罰を与える」存在とは違うと思います。 そして、人からお金をむしり取る、無償ご奉仕を求める存在でもない。こちらが自主的に献納したくなる、ご奉仕したくなる存在ではないかと思います。

   私みたいに「すみません、拝観料払ったからお賽銭まけて」でも多分、怒ったりしないし、何なら何もしないでも、心の中で手を合わせたり、祈ったりするだけでも、ほっとした気持ちにさせてくださる存在ではないかと思うのです。

  還暦過ぎまで生きて参りまして、思う事は・・・

  自分の言動を反省して「そんなことを言ったら罰が当たるね」という分には全く問題ありませんが、気に入らない事に対して(宗教を抜けるなどというのもそのひとつでしょう)天罰だとか、祟りだとか言ってる側の方がよほど罰当たりという事。

  かつて相手が思い通りにならなかったり、気に食わない事を言われると、すぐ「罰が当たる」と言って脅かす人がおりました。この人責任転嫁の名人(?)で手柄だけ横取りしてしまうなど、何かと困ったちゃんでもありました。

  この人の大切なご母堂の衰弱への引き金を引いた誤嚥性肺炎を起こした時、そばにいたのはこの人ひとりでした。

  もし他の人がそばにいたら「おまえのせいだ」と絶対に責めたと思うのですが、自分がそばについていながらの出来事ですから、誰にも何も言えません。

  非情な言い方にはなりますが、罰だのなんだのと人を脅し、責任転嫁を続けていたツケがきっちり回って来たようです。これが因果応報っていうのかと・・・💦

  この他のいくつかの経験からも、バチだのなんだのと言って人を脅す人は、宗教絡みであろうとそうでなかろうと、ろくでもないと思っています。

  本音は「お前なんてどうでもよい」「こっちの言う事を聞け!」

   罰当たりなのは、あんたの方だ!

  ついでに言うと、バチとまで言わなくても「あなたのためを思って」(親が子どもによく使うアレね、私も言うてしまったかと(;^_^A)や「世間様が許さない」みたいなのも「自分が安心したいため」「自分がみっともないと言われたくない」のが本音です。

  ほんものの神様、仏様、そして、信頼できる人は、脅したりしない、迷える人の肩をそっとやさしく押す、あるいは、他言無用で苦しい思いを吐き出させてくれる存在ではないかと思います。


人気blogランキングへ