羽生結弦さん、選手からプロへ転向と言うことで、敢えて現役引退と言う言葉を使わず前向きな会見でした。

  オリンピックの表彰台の頂点に立つのはかなわなかったものの、卓越したスケーティングと表現力で、まだ競技会で好成績を収められるレベルですが、スッキリした表情で(少しうるっとされているようにも見えましたが)語っておられました。

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 スポーツ選手の場合は体力や運動能力の限界が、平均寿命と比べてずっと早いうちに訪れるので、成果が現れにくくなってからも現役を続行と言うのも、本当にその競技が好きなんだなとか、素晴らしい努力家と評価してもらえます。

  が、他のケースではなかなか退きどきが難しいと思います。

  能力的に責務を果たせなくなっているのに、いつまでも地位に固執する場合、その人が老齢に達していると、老害と呼ばれます。

  いやな言い方ではありますが、私も腹に据えかねる言動を発している同年代から上の方々には老害!と思ってしまうこと、少なからずあります。

  どの業界に老害と呼ばれるタイプが多そうに感じられるかはこの際置きまして😅

  老害と言う言葉の出現より前に、退き時について考えさせられるようになったエピソードがあります。

  どこの飲食店だったか忘れましたが、近くの席で還暦越えから古希くらいの男女5、6人のグループの会話が聞こえて来ました。

  新コロ以前なので、席が密だったのと、もしかすると一人で食べていたので耳に入ってしまったのかも知れません。

  何かの趣味のグループで、ちょっとした小旅行に行くと言う和やかな内容だったのですが、途中から暗雲立ち込める感じになりました。

  先生をお呼びするか問題です。

  生徒である人たちからしてれっきとしたシニアなので、その師匠は更に年上のようでしたが、メンバーの間には、本音はお呼びしたくないと言う雰囲気が滲み出ていました。

  でも恩義があるから、呼ばないといけないのか?

  会話から、自分は身銭を切ることなく、弟子たちにプランから支払いまで任せ、先生、先生と慕われて当然と言う老人の姿が見えました。

  先生はおそらく善意の人で、ニコニコと楽しく参加されるのだろうとは思いますが、弟子たちも年金生活者で自分たちの体もあちこちギクシャクする中、お金を払って、高齢の先生を支え、気を遣って、と言うのは割に合わないと言うのが透けて見えました。

  先生は今の自分はむしろ厄介な存在になっていることを気付いておられないはずです。自分は呼んでもらえて当然と楽しみにされているらしい、だからこそグループの人たちは悩んでいるようでした。

  老いた自分が加わることで周囲の人たちには益より負担の方が大きくなってしまった、認めなくない事実ですが、そこをわきまえている人だと、最初から参加を辞退したり、参加するなら誰よりも多く金銭的な負担をするとか、配慮出来ますが、自分の衰えに気付かない、認められないでると、次第に疎まれてしまいがち。

  特に、先生とか◯◯長などと呼ばれる年長者にそのことを告げてくれる他人はほぼいないものと思われるので、ピシッと言ってくれる身内がいて、受け入れられる度量があれば別ですが、自分で気付けないと残念なことになります。
  
  年長者を敬うのは麗しい慣習ではありますが、担いで貰って敬われるのが当然と言う態度の年長者は嫌われます。

  アスリートみたいにキッパリと線は引けなくても、徐々に引いて行かなきゃと思います。

  先生と呼ばれる程の秀でたものは何も持たないワタシではありますが、この先、いばりんぼ方面にボケませんよ〜に!🙏