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 昨日、日中はがぉぉぉぉぉ!と怪獣の心境にはなりましたが、その後、家人Aが惜しみつつ、いくつかの物とは別れる覚悟をしてくれたので、今朝は大きめのゴミ袋2はじめ、我が家としてはそれなりの量をゴミ収集場に出すことが出来ました。
  自分も本来は捨てられない女なので、家人Aの腰が重たくなるのは分からないでもないのですが、捨て活にいそしんだ結果、以前より判断が早くなったので、ついつい厳しい視線を飛ばしてしまいます。

 自分に残された時間を自覚するようになった面も大きいかも知れないので、古稀過ぎなのに、自分に残された時間が減っている事に思いが至らないような家人Aの言動にイライラする分、がぉぉぉぉぉ!となってしまうのもあります。

  何しろ家人Aを見てると、115歳まで生きる気満々にしか見えないんですわ。(;^_^A

  それにつけても、人の物はガラクタに見えて、自分の物はお宝に見えるという、断捨離あるある現象、今まさに起きています。

  家人Aの場合、現状では「自分の物」の範囲に最愛の母親の遺品、そこまで愛してはいなかったっぽいですが父親の遺品も含まれております。

  特に母親の遺品に対しての思い込みがすごい。

  戦中派で苦労した分、買い物好きだったし、戦中派で苦労したから、自分で言う程は捨てられなかった義母の遺した靴、ずいぶんとありました。

  まだ履けそうなきれいな靴があるから履く?と言われましたが、幸いなるかな、義母と私は頭のてっぺんから足先までサイズが違い過ぎて、身に着けるものは何一つ合いませんので、謹んでお断り出来ました。

  血縁者の義姉ですら要らんと言っておりますが、それを世代と好みが相当違う妻に押し付けようというのは、彼にとって母親の遺品が宝だからなのでしょう。

  捨てるに忍びないというので、程度のいいものは寄贈型リサイクルショップへ持ち込むからと説得してチェックしてもらいましたが・・・結局、しまいこんでいる間に劣化していたり、モノはとてもいいのですが、使用感があり過ぎて、持ち込めそうなのは未使用の草履1足と、まだ程度の良さそうな靴2足のみでした。

  それにしても・・・いや〜、捨てた靴、何足? 長靴もありましたし、草履、下駄もありました。サンダル、パンプス、それも銀座ヨシノヤとかリズコンフォートなど、今の私じゃ手が出ないような上質な物が何足もありました。

  終戦の日が近くなり、毎日のニュースでもミニ特集が放映されています。上の世代は戦争で苦労したけれど、生き延びられた人は、少なくとも消費生活的にはいい思いが出来たんだなぁ・・・なんてことも思います。

 この調子で、家人Aにとってのお宝たちと、何とか心の区切りをつけてお別れしていただかねばなりません。

 私にとってはガラクタにしか見えないんですけど・・・まぁ、それはお互い様という事で (;^_^A

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