しもやけでタラコ状態になってしまった足の指、厳寒期には靴下を厚くして靴下に貼るカイロを使ったりするので、季節により靴のサイズを変えないと、と言うレベルになることもあります。

  要するに炎症を起こしているわけで、何をしていなくてもかなり痛いんだわ。

 昨晩など熱めの風呂の湯の中に浸けた冷えた右足、湯温に慣れるまでやけどしたみたいな痛みがありました。😿
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  しかし、介護保険の払込、銀行ATMに行かねば、などなどありまして、お天気も回復したので、運動不足の解消もかねて駅まで歩いて出ました。

  用事を果たしたあと、買い物の荷物がなくてお天気が良ければしばしば帰り道も歩くのですが、今日は音をあげました。

  痛くて、上り坂のある復路を歩くの嫌だ!

  そう思っていたら、駅ロータリーに平日ですら本数の少ないバスがいる! 置いて行かれないようにちょこちょこ走りしてセーフ!

  この状態、春が来るまで続くのは結構辛いです。今年はひときわ痛いのはやはり年を取ったから?!

  そして思い出しました。

  今は大丈夫ですが、子どもの頃は手指にもしもやけが出たことを。あれは本当に辛かった。

  しかも当時の学校の先生方はほとんどが戦前生まれで、教科書に墨を濡らされた世代にしても、軍国主義の精神主義が染み付いていた世代なので、手袋をつけて授業なんてとんでもないと下手したらゲンコツものでした。

  エアコンはおろか石油ストーブもなくて、校庭の隅のコークス置き場まで当番が独特の形をしたバケツを持って手指を真っ黒にしてシャベルでコークスを入れて運んだ時代でした。


  で、その点火が難しいし、そもそも先生が来なければ火がつかない。つけても直ぐにあたたかくならない。東京や横浜なのに冷蔵庫のような教室で、しもやけでパンパンに膨らんだ指たらこでいるのはすごく辛かったです。

  高校に行くとようやく石油ストーブになり、と言いたいところですが、一年生の冬を迎える前に転校。

 11月末、足下のカラマツの枯葉は砂糖衣をかぶったオレンジピールかと言う感じで、霜がバリバリ立って、その時はもう足指も手指もタラコ化してました。

  あまりの寒さに炎症レベルでは済まず崩れるのです。血が滲んだり、パックリ割れる。

  当時は伸縮性の包帯がまだ一般的ではなかったかもですが、あまりに崩れるので手指に家にあった古いタイプの包帯を巻いてました。

  そいつが授業中に挙手するもんだから悪目立ちっぷり、すごかったみたいです。

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 ミイラ先生と呼ばれました。

 私世代のこわいけど読みたいマンガ家として人気だった楳図かずお先生の作品のタイトルです。

  今ならんなのありえねぇとツッコミが入るかもですが、ミッションスクールの地下に埋葬されている過去の園長のミイラが優しい担任の先生になり変わってしまい惨劇が、と言うストーリーだったかと思います。

  確かクライマックスはミイラ先生の包帯が解けて……

ミイラ先生
楳図かずお
2017-12-01


 キャーキャー騒いでこわいもの見たさで読んだものです。

  と言うのが当時の女子高生の共通認識だったようです。

  準へき地への転校生自体珍しい時代でしたが、ミイラ先生のおかげですっかり有名人でした。

  痛くて、あたたまると痒くて、還暦過ぎても悩まされるしもやけですが、遠い日を思い起こすと、そのおかげで覚えてもらえ、なおかつ、あまりに垢抜けないすさまじい姿に、都会からの来たりものと言う意識もぶっ飛ばされ、仲良くなれた、と言う唯一最大のメリットがあったのを思い出しました。

 でも、ならないにこしたことはないんですけどね〜、しもやけ。