毎週日曜の夜、見たいような見たくないような、でも見てしまう「鎌倉殿の13人」、昨晩最終回を迎えましたね。
義時の最期がどうなるのか・・・少しだけ開示されている情報からいろいろな想像(妄想?)が飛び交いましたが、こう来たか!
最終回で印象深かったシーンは、のえさんの叫びでありました。
彼女の恨みのいちばんのねっこは「夫がちゃんと向き合ってくれない」だったのではないでしょうか。
義時の最期がどうなるのか・・・少しだけ開示されている情報からいろいろな想像(妄想?)が飛び交いましたが、こう来たか!
最終回で印象深かったシーンは、のえさんの叫びでありました。
彼女の恨みのいちばんのねっこは「夫がちゃんと向き合ってくれない」だったのではないでしょうか。
仕事が大事!家族を養ってやってるんだ!で、家庭を顧みないで来た現在中高年から上の日本男性に対して多くの妻が抱きがちな思いを鎌倉時代ののえさんが代表して叫んでくれてるみたいに感じました。
のえさん、体にいいと偽って、実は密かに義時に毒を飲ませていましたが、少し前の土曜ドラマ、松坂慶子さんがチャーミングだった「一橋桐子の犯罪日記」でも、桐子の親友が隠したかったのは、モラハラ夫にだけ生活習慣病を発症するようなご馳走を出していたという「罪」でした。
のえさんの叫びと行動を見てぞ〜っとした男性いませんかねぇ?
気付くような方なら妻に毒を盛られたり、逃げ出したいって思わせるような振る舞いはしないから、いらっしゃらないかなぁ。
全体的に血塗られた歴史を描きながら、ところどころに笑えるシーンがあったり、アサシン善児や現代ではとかく評判がよろしくなかった梶原殿を含め、単なる悪役や嫌なだけのヤツは一人もいないなど、とても楽しめるドラマでした。
誰も認めてくれないかも知れないけれど、自称裏鎌倉在住の身として(裏鎌倉とは小町通や段葛がある東口側ではなくて、鎌倉駅の西口側を言うらしいですが、それも失礼なこっちゃやな)、この1年は大河ドラマを見るだけではなくて、ゆかりの地巡りでも大いに楽しみました。
横浜では取り残された感じがあるTHE鄙ではありますが、鎌倉に近い南部の方って、陸続きだけあって、鎌倉時代の痕跡がいろいろあるんですよ〜。
ドラマでは実朝の建造させた船が義時に命じられて悪い事するトキューサとトウの工作でうまく動かなかったように描かれていましたが、歴史探偵では鎌倉の港は水深が浅すぎたとの事。
そこで鎌倉時代の港は今の鎌倉市ではなくて、横浜市金沢区の六浦でありました。六浦に抜けるために朝夷奈の切通しが造られたのではないかとも・・・。
で、切り通しの近くの横浜側に上総之介供養塔はあるし、鎌倉側には梶原殿が上総之介殿を斬った後刃を洗ったという大刀洗というスポットがあったりします。
そして、横浜南部からだとアクセスの良い三浦半島。三浦一族の拠点だけに、いろいろな痕跡があるのを今回のドラマのおかげで知りました。
感じる人が行くと、憑かれちゃうという噂があるほど、和田塚(江ノ電駅すぐそば)には時を重ねても未だに怨念がただよっているという話でして、そんな最期を遂げた和田殿も三浦一族。
だから運慶殿による傑作が三浦半島にいらっしゃるのです。
しかし・・・昨晩の運慶による義時像はシュールでしたな。ドラマの運慶、洒脱で好きでした。
鎌倉殿ちなみのスポット巡り、実はこんなところも行ってみました。
伝・・なんですけれど、畠山重忠公の供養塔やその息子重保殿の墓所も横浜市内にあるんです。
供養塔があるお寺さんは重忠殿が開祖と言われています。今はリアル・オンラインの座禅で密かな人気の寺院らしいです。
重保殿は由比ガ浜でだまし討ちされようですが、山を越えて父上が開祖の寺院がある近くまでたどり着いてから切腹というのもありそうに思えます。
はるかな時代を隔てて、未だに慰霊してくれる人たちがいる重保公も重忠公も、不運ではあったけれど、報われているなぁと思います。
鎌倉時代はとても昔のことなので、史実がどうかというのは置いて、色々と想像がふくらませることが出来ます。
子どもの頃はお城と言えば、天守閣がないと物足らない、史跡には由緒ある建物がなくちゃ!でしたが、最近は城址で郭を見たり、空堀を見たり、史跡では発掘された建物の土台を見たりしても、ときめくようになりました。
体はあちこちギクシャクしても、想像の翼は年を重ね、経験を重ねるほど、はばたくものですね。
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のえさん、体にいいと偽って、実は密かに義時に毒を飲ませていましたが、少し前の土曜ドラマ、松坂慶子さんがチャーミングだった「一橋桐子の犯罪日記」でも、桐子の親友が隠したかったのは、モラハラ夫にだけ生活習慣病を発症するようなご馳走を出していたという「罪」でした。
のえさんの叫びと行動を見てぞ〜っとした男性いませんかねぇ?
気付くような方なら妻に毒を盛られたり、逃げ出したいって思わせるような振る舞いはしないから、いらっしゃらないかなぁ。
全体的に血塗られた歴史を描きながら、ところどころに笑えるシーンがあったり、アサシン善児や現代ではとかく評判がよろしくなかった梶原殿を含め、単なる悪役や嫌なだけのヤツは一人もいないなど、とても楽しめるドラマでした。
誰も認めてくれないかも知れないけれど、自称裏鎌倉在住の身として(裏鎌倉とは小町通や段葛がある東口側ではなくて、鎌倉駅の西口側を言うらしいですが、それも失礼なこっちゃやな)、この1年は大河ドラマを見るだけではなくて、ゆかりの地巡りでも大いに楽しみました。
横浜では取り残された感じがあるTHE鄙ではありますが、鎌倉に近い南部の方って、陸続きだけあって、鎌倉時代の痕跡がいろいろあるんですよ〜。
ドラマでは実朝の建造させた船が義時に命じられて悪い事するトキューサとトウの工作でうまく動かなかったように描かれていましたが、歴史探偵では鎌倉の港は水深が浅すぎたとの事。
そこで鎌倉時代の港は今の鎌倉市ではなくて、横浜市金沢区の六浦でありました。六浦に抜けるために朝夷奈の切通しが造られたのではないかとも・・・。
で、切り通しの近くの横浜側に上総之介供養塔はあるし、鎌倉側には梶原殿が上総之介殿を斬った後刃を洗ったという大刀洗というスポットがあったりします。
そして、横浜南部からだとアクセスの良い三浦半島。三浦一族の拠点だけに、いろいろな痕跡があるのを今回のドラマのおかげで知りました。
感じる人が行くと、憑かれちゃうという噂があるほど、和田塚(江ノ電駅すぐそば)には時を重ねても未だに怨念がただよっているという話でして、そんな最期を遂げた和田殿も三浦一族。
だから運慶殿による傑作が三浦半島にいらっしゃるのです。
しかし・・・昨晩の運慶による義時像はシュールでしたな。ドラマの運慶、洒脱で好きでした。
鎌倉殿ちなみのスポット巡り、実はこんなところも行ってみました。
伝・・なんですけれど、畠山重忠公の供養塔やその息子重保殿の墓所も横浜市内にあるんです。
供養塔があるお寺さんは重忠殿が開祖と言われています。今はリアル・オンラインの座禅で密かな人気の寺院らしいです。
重保殿は由比ガ浜でだまし討ちされようですが、山を越えて父上が開祖の寺院がある近くまでたどり着いてから切腹というのもありそうに思えます。
はるかな時代を隔てて、未だに慰霊してくれる人たちがいる重保公も重忠公も、不運ではあったけれど、報われているなぁと思います。
鎌倉時代はとても昔のことなので、史実がどうかというのは置いて、色々と想像がふくらませることが出来ます。
子どもの頃はお城と言えば、天守閣がないと物足らない、史跡には由緒ある建物がなくちゃ!でしたが、最近は城址で郭を見たり、空堀を見たり、史跡では発掘された建物の土台を見たりしても、ときめくようになりました。
体はあちこちギクシャクしても、想像の翼は年を重ね、経験を重ねるほど、はばたくものですね。