戦時中の極度の物不足で苦労した世代はいただきものなどでいいものがあっても即使わず、もったいない、これはお客様用にしようなどと言ってしまいこむのが通例。

  私の実家を片付けた時も、食品系こそほとんどなかったものの、いただきもののきれいなタオルが大量に出て来て、うちで使う分をちょぼっとだけ抜いて、宅配便サイズとしてはかなりの大物(多分、140サイズかそれ以上はあったのでは)として、開所したてのDARCへお送りしたことがございました。

 有名ブランドのタオルもあったのですが、後生大事に取っていた間に変色していたので漂白剤にかけたらムラ染状態になって資源回収に出すしかなく、つくづく「もったいながって取っておくのダメだわ」と思わされたものでした。
 あの経験をして以降、自分で使わない、使いこなせなさそうな物は誰かに使ってもらった方がベターと思うようになりました。

 中にはちょっと試してみたがダメだったというのもありまして、靴やバッグの類なら寄贈型リサイクルショップへ持って行くこともありました。

 しかし、しかしですよ・・・

 過去にもこぼしてはおりますが、世の中にはそういう考え方.をしない人もいるのです。自分が手にしたものは何でも手放したくない、いつかきっと使うんだから!


  これは去年の話です(この時点で転居の可能性は出はじめていたものの決定ではなかった)。

  今も相変わらずやってますよ〜。義実家由来のガラクタが増えた分、なかなか壮絶なものがあります。

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 いったいいつの物なんだよ?

 後生大事に取っておいた「帝国ホテルのだからいいもの」という珈琲ですが、なまじ開缶して少し飲んだ後「いいものだから日常使いじゃもったいない」としまって忘れてたらしいです。

 出してはみたもののさすがに飲む気がしない家人Aですが、食卓において(しかもポリ袋に入れた状態で)放置したまんまでした。

 上述のように「飲む気になれない」んだそうです(当然だ!)。ならばさっさと処分すればいいのに、それもやらない。ホント重度先延ばし並びに誰かやってくれるだろう病です(手取り足取り過保護に育てた義母を恨みます)。

 捨てるのにも理由がいる人なので「庭に入って来るネコが💩しないようにするのには珈琲カスが効くことがあるらしいよ」と言うと捨てて良いとなりましたので、先ほど庭に撒いて来ました。

 通常だと「この缶は貴重だし思い出もあるから捨てない」となるところですが、今回はスルーできる・・・というのは、まだ未開缶の同じものがあるからだそうです。
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 どんだけ〜!と言いたいですね。

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