台風7号が西日本で猛威を奮っているニュースを見て心配しつつ終戦の日を迎えました。

  ウサギ山小屋エリアは米軍機の標的になるような軍施設や工場等は何もなく爆撃は逃れていますが、高校のスクールバスの車窓から◯◯一等兵と言う戦死された方の墓標を見たことがあります。

 地元の友人と話していると、タケノコ生活と言う売り食いをせねばだったサラリーマン家庭の祖母や母のような食べる物に苦労した話は寡聞ですが、農村部では二男坊以下が働き盛りなら招集され亡くなられた方も多かったと思います。

  時の流れがゆっくりに感じられる森の中にいると戦争はとても遠くに思われてしまいますが、毎年8月になると広島、長崎の原爆、終戦の日の前後にテレビや新聞、ネットでは戦争を厭い平和を願う特集が組まれるので、そのいくつかを見ています。

  今年はNHKのドラマ『軍港の子』と『アナウンサーたちの戦争』を見ました。

  実話ベースの『軍港の子』は舞台が生まれ故郷の横須賀。戦災孤児の主人公がクリーニング店を開くまでの苦労を子役たちが熱演しています。

  私が生まれた時にはドラマの主人公たちのような戦災孤児の姿はありませんでしたが、浮浪児と言う嫌な言い方が残っていて、近所の少し年上の意地悪な女の子に悪口として言われた事がありました。

  孤児たちがアジトとしていた戦跡はベースと呼んでいた米軍基地との距離感から言うと深田台、今は文化会館や人文博物館のある場所だと思います。

  火災で焼け落ちた市立病院があった場所でもありましたが、砲台山と呼んでいて、幼稚園時代にはトーチカのような崩れ落ちたレンガの地下室がいくつもあり、そこだと思います。

  砲台山には元女学校だったと言う木造二階建てがあり、晴れた日には白いシーツが干されているのが我が家から良く見えました。満州引き上げの人たちが住んでいると聞かされても、時々大人の話に出て来る満州が何か分からなかった頃です。

  今市立中央図書館のある場所はおあき山と呼ばれていて、深田台と向かい合うような位置の丘で、我が家はそこにありました。

  中央図書館が建つ前には米軍のカマボコ兵舎が建っていて、そこに住む家族と交流があったことは以前このブログに書きましたが、昭和25年に京都の平安神宮で結婚式を挙げ、父の職場に近い横須賀に住むことになった母にはいろいろと衝撃的な風景だったようです。

  時々思い出したように、横須賀はいい人がたくさんいて楽しかったと言いつつ、それまで暮らしていた京都とのあまりに違う風景は嫌だったようです。

  そのあまりに違う風景と言うのがこのドラマのような風景だったのだろうと腑に落ちました。

  戦時中をどこで過ごしたかで人生がかなり変わってしまう人たちがたくさんいた時代でした。

  『アナウンサーたちの戦争』は世界中のいろいろなことを知ることが出来る魅力的な存在だったはずのラジオがウソを発信したり、戦意高揚を促し多くの若者を戦地に送る悪魔の道具になってしまったと言うラストシーンのNHKの前身のトップの言葉が印象的です。

  人々にとって楽しみや知識を与えてくれる存在だったラジオの変容、両親から聞いたことがありました。

  あたかも自分の行動を見てるような子ども番組でのアナウンサーの語りかけにびっくりしてしまったと言う新鮮な驚きの時代から戦意高揚の番組が増え、そのうちに『海ゆかば』がかかるようになると、ああまたどこかで戦争に負けていると分かったそうです。

  会社の同期が飲み会で『海ゆかば』を歌うことがありましたが、彼も親から聞かされていたのでしょう。尤も私の世代は高度経済成長の余録があり、戦争を問うためではなくガッカリ出来事があったレベルで歌う能天気さでしたが。

  ドラマの中で鬼畜米英はおかしいと訴えたアナウンサーは招集され戦死、主人公の上司も宣撫隊として派遣されたマニラで殉職してしまいました。

  子どもの頃、ニュースでよく拝見していて名前も記憶に刻み込まれている今福アナウンサーも登場していました。

  彼らは国民を戦争に駆り立て不幸な結果を招いたことに慚愧に堪えない思いを抱いたのではないかと思われます。

  このドラマとは別枠の番組で言ってましたが、その反省から放送法が制定されNHKは不偏不党、正確な情報を提供することを誓ったとの事でありました。

  率直に言って、平成後半くらいからNHKのニュース番組の報道姿勢には首をひねることが増えています。

  なぜこの重大事項はさらっと、あるいはスルーして、目くらましみたいに大衆受け狙いのニュースを最初に大きく流すんだ?的な事を感じることが増えました。

  あの時代と同じような表には見えないコントロールが入り、じわじわ影響を強めているのでは?と心配です。

  この手のドラマや戦争にまつわるドキュメンタリーは見ると重たい気持ちになりますが、8月に放映されるのは大事だと思いますし、制作陣の意気も感じます。

  ドラマやドキュメンタリーもきれいごとや娯楽的な内容ばかりになったら、かなり危ないのではないでしょうか。

  戦争で亡くなられたすべての方々に哀悼の思いを捧げたいと思います。