昨日の三婆会、なぜ楽しかったかと言えば、すてきな別荘でのおいしいお菓子などのおもてなし、共通の話題があったことは大きいですが、基本的に口さがない人たちではないからだと気がつきました。

 誰かと会って、会話がつまらない、別れた後めちゃくちゃ疲れる時って、話の中身が愚痴や噂話のオンパレードが圧倒的に多いです。

  加えて誰か一人だけがマシンガントークしてほかの人の話が全然聞けない、自分もしゃべれない時もそうです。

  自分も時々(しばしば?😅)愚痴オンパレードトークしてしまう事があるので自戒せねばですが、マシンガントークして人に話すチャンスを与えない人は、口さがないタイプと重なることが多いです。

  人の悪いこと、失敗をあげつらう系の噂話が好き、それに比べて私は、我が家はと話を落とし込んで自慢やマウント取りに使うので、なおさら面白くないし疲れます。

  出来たらお付き合いしたくない人たちです(が、幼少期から長幼の序を叩き込まれて育ったので、年長者がそのタイプだと反発しつつも我慢して来ました。高齢者の仲間入りした今は我慢させる側になってはいまいかと心配です)。

  身近に何人かそう言う人を見て来て今さらながら思うのは、口さがない人は自分軸で生きていない、自分が本当にやりたい事がわかってない。

 軸が世間体、他人からどう見られるかだからこそ、比較して優越感に浸りたいし、人の不幸は蜜の味になってしまうらしいです。

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   ヘイトスピーチを放つネトウヨの正体を調べてみたら、普段はおとなしいオジサンだったと言う話を見た事がありますが、それと似ているかも知れません。

  昨日お話ししたお二人はガーデニングや手づくりが好きだったり、クラシック音楽に造詣が深かったり、好きな事をしていらっしゃるから、確証のない悪い噂話とか、間をもたせるための誰それがどうした的な話はご不要。

  もちろん他の誰かの話も出ては来ましたが、それはまた聞きじゃなくて、自分が誰かに何かをしていただいたと言うような前向きな気持ちのいい話でした。

  21世紀の今もしばしば村社会という言葉が悪い意味で出て来ますが、視野が狭くて自分の軸が無くて長い物には巻かれろ、そして人の不幸が蜜の味、つまり口さがない人たちの集まりを指すように思います。