今日は防災の日

  その起源は関東大震災にあると言うのを関東大震災から100年に当たる今年は特に強調されて報道されているように思います。

  明治生まれの祖母は東京の伯父宅に寄宿していたので、震災を経験、生前時々その時の話をしてくれました。

 東京生まれの父は震災翌年の元日生まれでした。

 時々、自分と同級生は胎教が悪かったから変なのが多いと自嘲的に語ることがありましたが、同級生の半分くらいは大震災で動揺した母胎から生まれたからです。

 そして見て来た訳じゃないのに、周囲の大人から聞いたのでしょう、浅草には12階と言う建物があったが震災で壊れたと語ってもいました。

  子ども時代の自分にとっては関東大震災は決して遠い昔の話には思われませんでしたが、もう100年経ったのですね。

  阪神淡路大震災、東日本大震災、と大きな地震を経験し、今後も高い確率で大きな地震に見舞われるであろう日本なので、防災についての取り組みは大事です。

  その一方で関東大震災の時、流言飛語により朝鮮人や中国人虐殺の悲劇が起きたことを否定しようとする動きがあるらしいのはとても気がかりです。

 (本日封切りと言う映画『福田村事件』は流言飛語による疑心暗鬼が向けられたのは外国人だけではなかった事件を描いた作品とのこと)

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 これは以前書いた少女時代の祖母の日記です。

  内容はこちらに転記してあります。

  まだ記憶が生々しいうちに何ら政治的な意図を持たぬ少女が書きつけた拙い文章ですが、それだけに流言飛語があったこと、怖い顔をして棒を持った男の人たちなども記しています。

  祖母は自警団と思われる人たちの不穏な動きを見ただけですが、伯父から聞いたと言う話は語っていました。

  長屋を営んでいた伯父ですが、町を針金のようなものでくくりつけられ歩かされている血だらけの人たちの中に長屋の店子がいたので、この人はうちの店子だからと言って救い出したと言うのです。

  祖母にじゃあその他の人はどうなったの?と問うと無言で辛そうな顔をしたので、私も何があったのか悟りました。

  既出かも知れませんが、養老孟司先生のご母堂に至っては、鎌倉で実際に残虐な行為が行われているのを見てしまったとその自伝に書かれていたのが忘れられません。

  その事実をなかったことにしたり、認めることが自虐的と言うのは間違いだと思います。

  足を踏んだ側は忘れても踏まれた側は忘れられないと言いますが、ましてや命をむごい形で奪ったのですから。

  井戸に毒を入れたなどの流言飛語の根っこには近隣国の人たちを無理やりに連れて来たり奴隷のように扱っていたが故の報復を恐れる気持ちがあったことと思います。

  不当な扱いをしていると心の奥底では認めているからこその恐れが招いた悲劇だったのではと思います。
 
  戦前の日本に対する恨みは深く、いまだに日本憎しの教育が行われている国があるのは残念ですし、当該国民の不満そらしに利用されている面もあるのではないかとは思いますが、迫害された側は長く忘れることはないものだと思います。

  そして相手が誰であれ流言飛語による悲劇は二度と起こしてはならないと強く思います。

  最後に久しぶりに頭に雲の冠を抱いていない富士山をご覧ください。

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