年末に丸紅ギャラリーにご一緒した友人が招待券をくれたので、横浜のそごう美術館に久しぶりに行きました。

  横浜の愉快な友だち会で募ったら一人の友だちが付き合ってくれまして、鑑賞後は食べておしゃべりと言う嬉しい日になりました。

 中原淳一さんは祖母と母がものすごく買っていました。

 皇太后様のデザイナーとしても有名だった芦田淳さんは中原さんの弟子で、絶大な影響を受けたと聞きますが、展示品のドレスのデザイン画からの作成もジュン・アシダが担当していました。

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 今見てもチャーミングなドレス。まだ物が豊かではない時代にアップリケや継ぎ接ぎ、つまりパッチワークを駆使しての個性的なドレスです。

  撮影NGのデザイン画コーナーでは戦前のものでも、古びた感じのしないすてきな服がたくさんありました。

  時代的に今期の朝ドラ『ブギウギ』でヒロインのスズ子さんが着ている服、襟元がなかなかおしゃれですが、中原さんのデザインも考証に使われているのかなぁなんて思いました。

  着物も独創的。

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  ジーンズ生地の着物があったり、ツイッギーが流行らせるよりはるか以前のミニスカートのデザイン画がありました。

  中学生の時、アンクルベルトが付いていてつま先が丸く、かかとはぺたんこの青緑の革靴を買って貰ったことがありましたが『(中原さんが発行していた雑誌)それいゆの靴みたいだから』と母が言っていました。

  可憐とはかけ離れたガサツな我が娘を何とか中原淳一ワールドのチャーミングな娘にしたかったのだろうなぁと思います。

  私も若い時は芦田淳一さんのワンピースを一着だけ持っていましたから、好きなデザインではあったのですが、あいにくと体型が中原ワールドの女性たちと全然違いました。

  中原ワールドのウェストがキュッとしまり全体的に華奢で可憐な体型、ではないので、胸元のボタンがはち切れそうになり、無理して着ている感がありありで、とうとう諦めて手放したと記憶しています。

  おそらく中原さんの影響を受けて、大きな花びらのアップリケを施した朱赤のウールの振袖を祖母がつくってくれたのに、小学校低学年の自分は友禅染めのような普通に華やかな着物に比べ劣るように感じ、あまり着なかったことも思い出しました。

  今となっては本当にもったいない事でしたが、当時の私は今とは違い、横並びでみんなと一緒にしたかったのです。

  その着物を私が高校の時だったか、着ないならもういい💢座布団にする!と祖母が切り刻んでしまったのも思い出しました。

  中原さんの配偶者は宝塚のトップスターだった葦原邦子さんで、芸術家とスターと言う有名人カップルの組み合わせは昔から破綻も
多い中、添い遂げたと言う点でも謹厳な母は大いに絶賛していました。

  友人にとってはすごい才能のある人のチャーミングな回顧展だったようですが、私は見ているうちにいろいろなことを思い出し、特に祖母の創作への影響がかなりあったのではと思いましたが、最早確認のしようもございません。

  デザイン画にインテリアの提案、人形まで網羅され、図録が欲しいくらいでしたが、物を増やしてはいかんので諦めました。

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 戦中、戦後、ものすごいもの不足の中、少しでも生活を楽しく美しくすべく、きれいなものを集めたり、飾ったり、物余りの今とは真逆の時代だったことがわかるインテリアのコーナーも印象的でした。

  美しい暮らしを提唱された中原淳一さんの影響を受けた世代は、家の中をモノだらけにされた方が多いようですが、どこから狂っちゃったんですかね。💦

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