なかなか片付けが進まない言い訳じゃんと言われそうですが・・・

  モノの多すぎる日本。極度の物不足を味わった反動で目いっぱい物を集めまくった親世代の後始末にくたびれる人が多いせいもあるでしょう。もう昔みたいにいろいろ買いそろえなくても暮らしていけるのもあるでしょう。

  今の日本の大勢は捨てる、減らすで、それが極まるとミニマリストにまで行きます。

  確かに、モノが少なくてスッキリしていると、維持管理にかける手間をはじめとするコストがかからなくていいと思います。

  モノ屋敷状態を呈している我が家ですから、もっとスッキリさせたいいのは当然で、だからこのブログでは性懲りもなく「片づけ」という言葉が繰り返し出て来ます(という割には片づかないのも、溜め込み症傾向の強い家人Aのせいだけじゃなくて、私の性分もあるからです(^^ゞ)。
 
 しかしですなぁ・・・

 昨日中原淳一さんの回顧展を見て、彼の創作スペースは必ずしもすっきりはしていなかったという事もありますが、作品を見ていろいろなことを思い出すにつれて、ふっと湧く思いがございます。

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  すっきり全部見渡せる生活は確かにいいんだが、それだけでいいんかい?と。

  子どもの頃に住んでいた古い家は、横須賀の小高い丘の上にありました。そこそこの暮らし向きのご隠居さんが住んでいたという家を買ったんだそうで、その後私が幼稚園時代にリフォームして縁側のついた座敷を残して、全く別の家になってしまったので、記憶はおぼろですが、玄関を開けると、そこには古い本棚がありました。

  その頃ですら、子どもの目には見るからに古色蒼然としていたのは戦前の漱石全集とか、色褪せた背表紙の本たちでした。釘を使わないで組み立てられていたがっしりした使い込まれた本棚でした。

  祖父の蔵書だったのだと思いますが、多分、触っちゃダメとも言われたのだと思いますが、いたずら盛りの自分でも触りたくないような子どもを寄せ付けない空気が漂っていました。

 なんだか不思議な空間で、後年、北杜夫さんの「幽霊」や中勘助さんの「銀のさじ」を読んだ時に、作品の中に漂う雰囲気は、きっとあの玄関で感じたみたいな空気だろうなぁとスッと入りました。

  祖父はいろいろな本や日記、書きつけているノートなどを書斎とも言えない自分のコーナーにごちゃごちゃと置いていましたが、全部使っている感じがして、何だかあたたかい雰囲気がありました。吸い取り紙とか、ペーパーナイフ、穴あけパンチ、大きな虫メガネ、ものさし、それから孫の手などなどが置いてありました。

  字が読めるようになった小学生の私は、祖父の本棚に入っている中では最も難易度が低そうな当時のベストセラー、多湖輝さんの「頭の体操」や祖父が宴会ネタ用にでも買ったらしい「あっと驚く手品と奇術」というような実用本を抜き取って読んでいました。もっと難しそうな本には手を出さずに見るだけでしたが、どうやら子ども向けだったらしい旧仮名遣いの柳田國男「日本の伝承」という本には手が伸びました。

 昭和18年くらいの本だったかと思います。ざらざらした紙にちょっと不気味な石仏などの線描の挿絵がところどころにあって、「こういう」が「かふいふ」だったり、おじさんが「おぢさん」だったり、読みながら、時々わざと旧仮名を今の読み方で読んでひえ〜とか言っていたように思います。

  山の背比べの話で富士山が嫉妬深くて、樋をかけて自分より高かった山を蹴飛ばしてへこましたような話も読んだ記憶があります。後から知りましたが、昔話では八ヶ岳も富士山の嫉妬の被害者だったという事です。

  ・・・というような、経験は家の中がすっきりして不要なものはない状態では絶対に得られません。

  なんだかわからない子どもにはちょっと胡散臭いような秘密めいたような空間があったからこそ、そこからほじくり出して知らなかったものに出会う事がありました。

  我が家は家人BもCもおそらくは非婚で、先がなさそうだからこそ、片づけなくちゃと思うのですが、孫やひ孫がいらっしゃる方までが、全部すってんてんにきれいにしてしまったら、子どもたちに見えるのは平面で平板な世界だけでもったいないのではと思うのです。

  家の中にあるむさい空間というのは、否定的な気持ちを抱かせる可能性も高いとはいえ、自分の目に見えている世界、自分が思っているのとは違う世界があるらしい事を身近で教えてくれるものだと思います。

  世の中は1たす1は2だけではありません。きれいごとだけじゃすまない部分もあるし、思いがけない事も起こる。ですが、あまりにスッキリした空間しか知らないというのは、無菌空間に育つのにも似ているのではないかと思うのです。

  汚部屋、ゴミ屋敷、モノ屋敷過ぎるのは言語道断ですが、日々の暮らしをホテルのようなスッキリだけで営むのはどうなんだろうとも思います。

  ひっそりと思いますけど、合理主義で功利的で人情が分からない人物になる可能性もあるんではないかなぁと・・・


  以上、片づかない事の言い訳じゃない証拠に、今年も細く長くがんばりまっす!.....…と書いておこう。(^^ゞ

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