昨日は東京大空襲の日。

  戦時中、磯野浪平さん一家が住む界わいに暮らしていたと言う母、祖父母。大空襲だったのか、それ以前に頻々とあった爆撃だったのか今となっては確かめようもありませんが、都心爆撃の時に空が真っ赤になって、金襴の帯の模様が分かる灰がふわふわと飛んできたと言ってたのを毎年思い出します。

  建前では軍需工場などの爆撃という事になっていますが、実際は広島・長崎の原爆投下と同じく、多くの非戦闘員の方々が落命されたり、家族を亡くされたり、家を失ったり、悲惨な目に遭いました。亡くなられた方や悲しい思いを抱えながら鬼籍に入られた方々のご冥福をお祈りいたします。

  ウクライナで戦火が起きたのが、2年前の事になります。戦いは直ぐに収まって欲しいと思ったのにおさまらず、さらにパレスチナでの悲惨な状況まで加わり、平和と遠い世界なのが心が痛みます。

  戦争に何の意味があるの?誰か得するの?とついつい思ってしまいます。 
  そして今日は東日本大震災から13年の慰霊の日です。
 
  横浜は一部液状化現象は起きたものの、大きな被害はほとんどなかったのですが、それでも友人の中には職場から徒歩で家路に向かった人や、出先の部屋で仮寝したという人もいましたし、被災された方から思えば何でもないことですが、私自身は首都高速道路の路面がちりめん状に波打つのを見て、その後東京湾地下トンネルで1時間以上情報遮断された状態で足止めをされ、その後高速道路が封鎖され大渋滞の一般道を、ふだんなら1時間強で帰宅できるところを8時間かかって帰宅するという経験をしました。

 ラジオが聞こえない地下トンネル以外以外の場所では、被害状況を伝えるアナウンサーの切迫した声が絶え間なく聞こえて来ましたが、本当に被害がすさまじかったと知ったのは翌日以降だったかと思います。

  津波が町に襲い掛かる映像、焼け焦げた町の映像、東京電力福島第一発電所の大事故など、日々深刻な映像が流れ心が沈みました。

 被災してはいない横浜では計画停電の予告が流れ、ミネラルウォーターや乾電池が売り切れ買えなくなってしまったり、誰かと会っても冗談を言う気も起きない重たい雰囲気に包まれていました。被災地のことや被災された方を思うと、胸が詰まる感じで、過ごしたことを思い出します。

  あれから13年、まだまだ復興が途上の地域もありますし、被災された方々の心の傷は決して消える事はないと思いますが、心が晴れる事が増えて行くようにとお祈りいたします。


人気blogランキングへ