転居してからは敢えてテレビを見づらい環境にしております。
台所兼食事室にダンボールに入ったまんまのテレビが置いてあるので、こいつを開梱してセットすりゃ見た目はすっきりすると分っておりますが、そうなると家人Aがず〜っと居座る事必定。
近年とみに耳が遠くなっている家人Aですから、私の居場所の直ぐ隣で大音量が鳴り響くと思うと、食事室がスッキリするのは諦めて騒音を防ぐしかありません。(´Д⊂グスン
敢えて使わんこのテレビも買い物好きな家人Aが先取りして買ってしまったもので、この手の「使う時に備えておこう、お買い得品」を口実に買ったテレビがさらにあるらしいのですが、どこにあるのか本人にもわからないようです(物が多すぎて重複して買い物をして貧乏神を呼ぶパターン)。

と前振りが長くなりましたが、テレビ視聴しづらい状況でも見たいドラマ、ただいまは「虎に翼」と「光る君へ」の2本であります。
台所兼食事室にダンボールに入ったまんまのテレビが置いてあるので、こいつを開梱してセットすりゃ見た目はすっきりすると分っておりますが、そうなると家人Aがず〜っと居座る事必定。
近年とみに耳が遠くなっている家人Aですから、私の居場所の直ぐ隣で大音量が鳴り響くと思うと、食事室がスッキリするのは諦めて騒音を防ぐしかありません。(´Д⊂グスン
敢えて使わんこのテレビも買い物好きな家人Aが先取りして買ってしまったもので、この手の「使う時に備えておこう、お買い得品」を口実に買ったテレビがさらにあるらしいのですが、どこにあるのか本人にもわからないようです(物が多すぎて重複して買い物をして貧乏神を呼ぶパターン)。

と前振りが長くなりましたが、テレビ視聴しづらい状況でも見たいドラマ、ただいまは「虎に翼」と「光る君へ」の2本であります。
今日の「虎に翼」はとても印象的でした。
主題歌と出演者のテロップが最後のほうに来るという異色の展開でしたが、大日本帝国憲法とは違い、性別、家柄、経済力などで差別はしないと宣言する日本国憲法の誕生で、悲しい別れが続き消沈していた寅子が前を向き始めました。
お父さんが軍需産業に携わっていたが故に戦後の暮らし向きが一気に悪くなり、進学の夢をあきらめ一家の大黒柱になるのだと頑張る弟に「男だからと全てを背負わなくていい」とさとす寅子の言葉は、女性が差別されて辛い思いをすることが多いけれど、男性も相応の重荷を背負わされている辛さがある事を語っているバランス感覚がいいなぁと思いました。
昨今、憲法改正して、国民の権利は抑え義務を先行させようと言う意向も見え隠れする中、静かに異を唱えているようにも見えました。
で・・・ようやく「光る君へ」です(写真は葵祭観覧の日記からです)。
正月の日記に「藤原道隆さまは父方の遠祖らしい」と書きましたが、そこからどうなってどうなったの?と思っていましたが、どうも道隆さまの息子二人のうち、ちょっとやんちゃな弟君の方じゃなくて、才色兼備前途洋々だった兄君の伊周さまが遠祖らしいのです。
父方の先祖は駿河大森氏と言われていますが、その駿河大森氏が伊周の子孫を名乗っているのだとWikipediaにございました。
駿河大森氏はのちに小田原城主となりますが、伊勢新九郎を名乗っていた頃の北條早雲に「御料地で鹿狩りをさせていただきたい」と言われ、ほいほい許したあげく、城を乗っ取られたマヌケです。しばしば愚鈍という形容詞と共に語られると〜〜〜いご先祖さまなのです。
そのトホホなご先祖様がご先祖と見なしていたという伊周さま。登場した時はさっそうとした美少年(イケメン三浦翔平さん、30代後半ながら頑張って10代を演じておられましたね)だったのに、弟が花山上皇に矢を射かけた事がきっかけで大宰府に追放となるのを見苦しく拒否しまくって、あげく母上といっしょに行けるのなら我慢すると母子で牛車に乗っていたところを追いかけられて、母と引き離されてしまいました。
叔父である藤原道長と次代関白の座を競っている頃にはさっそうとした青年で、傲慢さが鼻につくところもあったのが、いったん坂を下り始めた時の情けなさよ。しかもマザコン。
三浦翔平さんの一皮むけた熱演が拍手喝采ものでしたが、本当に見苦しく情けなかったわい。
途中のご先祖様も相当ですが、伊周さまも相当なもんだ・・・のあげくの果てがここまで来てるんかいなという感じで、これなら自分がいろいろと情けなくても先祖のせいに出来るぞ!というお方として描かれています。
まぁ、イケメンだからいっか〜。
しかし・・・その美形の血の方は一滴もわが身に流れていないようなのがなおさらトホホです。
★蛇足★子育て仲間のひとりの学校の同級生が三浦翔平さんのお母様なんだそうで「とてもきれいな人」との事です。
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主題歌と出演者のテロップが最後のほうに来るという異色の展開でしたが、大日本帝国憲法とは違い、性別、家柄、経済力などで差別はしないと宣言する日本国憲法の誕生で、悲しい別れが続き消沈していた寅子が前を向き始めました。
お父さんが軍需産業に携わっていたが故に戦後の暮らし向きが一気に悪くなり、進学の夢をあきらめ一家の大黒柱になるのだと頑張る弟に「男だからと全てを背負わなくていい」とさとす寅子の言葉は、女性が差別されて辛い思いをすることが多いけれど、男性も相応の重荷を背負わされている辛さがある事を語っているバランス感覚がいいなぁと思いました。
昨今、憲法改正して、国民の権利は抑え義務を先行させようと言う意向も見え隠れする中、静かに異を唱えているようにも見えました。
で・・・ようやく「光る君へ」です(写真は葵祭観覧の日記からです)。
正月の日記に「藤原道隆さまは父方の遠祖らしい」と書きましたが、そこからどうなってどうなったの?と思っていましたが、どうも道隆さまの息子二人のうち、ちょっとやんちゃな弟君の方じゃなくて、才色兼備前途洋々だった兄君の伊周さまが遠祖らしいのです。
父方の先祖は駿河大森氏と言われていますが、その駿河大森氏が伊周の子孫を名乗っているのだとWikipediaにございました。
駿河大森氏はのちに小田原城主となりますが、伊勢新九郎を名乗っていた頃の北條早雲に「御料地で鹿狩りをさせていただきたい」と言われ、ほいほい許したあげく、城を乗っ取られたマヌケです。しばしば愚鈍という形容詞と共に語られると〜〜〜いご先祖さまなのです。
そのトホホなご先祖様がご先祖と見なしていたという伊周さま。登場した時はさっそうとした美少年(イケメン三浦翔平さん、30代後半ながら頑張って10代を演じておられましたね)だったのに、弟が花山上皇に矢を射かけた事がきっかけで大宰府に追放となるのを見苦しく拒否しまくって、あげく母上といっしょに行けるのなら我慢すると母子で牛車に乗っていたところを追いかけられて、母と引き離されてしまいました。
叔父である藤原道長と次代関白の座を競っている頃にはさっそうとした青年で、傲慢さが鼻につくところもあったのが、いったん坂を下り始めた時の情けなさよ。しかもマザコン。
三浦翔平さんの一皮むけた熱演が拍手喝采ものでしたが、本当に見苦しく情けなかったわい。
途中のご先祖様も相当ですが、伊周さまも相当なもんだ・・・のあげくの果てがここまで来てるんかいなという感じで、これなら自分がいろいろと情けなくても先祖のせいに出来るぞ!というお方として描かれています。
まぁ、イケメンだからいっか〜。
しかし・・・その美形の血の方は一滴もわが身に流れていないようなのがなおさらトホホです。
★蛇足★子育て仲間のひとりの学校の同級生が三浦翔平さんのお母様なんだそうで「とてもきれいな人」との事です。