昨夕、兄にブルーベリーパイのお裾分けを取りに来てもらったついでに、体調不良のことも言ってしまいました。
いざとなればうちを頼れば良い、自分がいなくても家族が対応するからと言ってもらえ、本当にありがたかったです。
夕方ではありましたが、上がってもらい、しばらく歓談。おかげでガス抜きも出来ました。
ガス抜きと言えば、どうしても出てしまうのが家人Aの溜め込みぶりに対するストレスなんですが、それを話題にしているうちに判明したことがあります。
家人Aの溜め込みを批判するけれど、実は私自身がごちゃごちゃさせているのはここでも何回も書いています。
視覚的にうるさくないようにものを並べたり片づけたりするのがかなり苦手なのです。
例えば、今家計簿をつけようとレシートを並べている時にフッと気になり郵便物が届いていないかとポストを見に行き、そこにクラブツーリズムのカタログが入っていたら開封し、そっちに見入るうちに夕食の支度をせねばになり、レシート、カタログほっぽらかして台所へ。
なんてコースです。下手したらその前に書きかけの手紙やら、繕おうかと出してみた服なんてのもあったりして、ごちゃごちゃごちゃごちゃさせてしまいます。
最終的には何とか収めますが、その頃にはまた次の何かがあって、まるで賽の河原の石積み……って、同じような状況で家の中がきちんとおさまっている友人も複数いるのですから、言い訳ですよね。
どうも兄もそっくりらしいのです。
兄が結婚してから、何度も遊びに行かさせてもらい、だらしなさとは無縁だけどそこまできっちり片付いていないので、感性が似た者夫婦なのかなぁと長らく思っていたのですが、違う!とわかったのが祖母が亡くなってから。
祖母の旧居だった離れ、一階を兄嫁が茶室にしたのですが、そこの生活感のないオサレっぷりにびっくり。
兄宅の生活感はどうやら兄が醸し出し、それを兄嫁が辛くも汚部屋になるのを止めていたらしい。
現在兄はまことに充実の老後生活を楽しんでおり、冬場は祖父の故郷にほど近い愛媛県に月単位で小屋を借りて過ごすこともあるのですが『俺が使うと、すぐ汚部屋になる』と昨夕言ってました。
もちろん撤収時にはきちんと元に戻すのは、今グッチャなウサギ山小屋の2階を私が片づけるのと同じです。
そして、実は……
家人Bが同じなんですわ。
たまに来ると、汚い、捨てろ!と非難しまくりますが、実は汚部屋の主です。
念願のひとり暮らしを始めた大学生の時が1番きれいでしたが、それでも過去日記に『こんな部屋なのに、料金ホテルオークラ並み』(泊めてもらうと値がさなもの中心にあれ買ってこれ買ってとなった)と書いたような気がするレベルの散らかり方はしてました。
社会人になって、大阪市や新潟市の駅チカ利便性最高な分、狭い物件に住むようになってからは汚部屋です。
疲れて帰宅して、入浴と食べるを優先すると片づけが後回しになると言う循環だったようです。
そして家人Bも兄と私と同じく、やりかけがあっても次に興味が移るとほったらかす習性があるのを先日のウサギ山小屋来訪時に認めました。
こうなると、何らかの片づけられないDNAがあるに違いないと思われてなりません。
祖母は見栄え良く家の中をしつらえる事が出来た人ですが、祖父はあたたかみを感じさせつつ書斎に本や筆記具がごちゃっとしてました。物の少ない時代の人で物欲もなかったので汚部屋にはならなかったけど。
父も物欲はなかったけれど、紙の多い人で、茶封筒に本人だけがわかる分類をして積み上げていて、美的とは程遠かったです。
母は祖母のセンスを受け継ぐ事なく、片づけたつもりでもどこか緩んでましたね。
祖母の姪でスッキリ素敵なお宅でティールームを開いている人もいましたが、父方の伯父伯母も結構ごっちゃ暮らしだったのを思い出しました。
※母が一人娘で父は養子なので、祖父母と血縁関係はありません
ここまで生きて思うのは、極度の富裕層や貧困に陥っておられる方とご縁が無いので分かりませんが、一般的な暮らしを営んでいる方々で、スッキリ暮らせるかごっちゃになるかは、学歴とか収入とか教養とか、皆さんが物差しとしたがる事柄とは全く関係なく見えます。
片づけられないDNAってのがあるんだよ、きっと。
そうだ、そうに違いない!
※世の中では往々にして、こう言う傾向があるとADHDと呼ばれがちなのは存じてはおります。💦
最後に………
家人Aは問題外です
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いざとなればうちを頼れば良い、自分がいなくても家族が対応するからと言ってもらえ、本当にありがたかったです。
夕方ではありましたが、上がってもらい、しばらく歓談。おかげでガス抜きも出来ました。
ガス抜きと言えば、どうしても出てしまうのが家人Aの溜め込みぶりに対するストレスなんですが、それを話題にしているうちに判明したことがあります。
家人Aの溜め込みを批判するけれど、実は私自身がごちゃごちゃさせているのはここでも何回も書いています。
視覚的にうるさくないようにものを並べたり片づけたりするのがかなり苦手なのです。
例えば、今家計簿をつけようとレシートを並べている時にフッと気になり郵便物が届いていないかとポストを見に行き、そこにクラブツーリズムのカタログが入っていたら開封し、そっちに見入るうちに夕食の支度をせねばになり、レシート、カタログほっぽらかして台所へ。
なんてコースです。下手したらその前に書きかけの手紙やら、繕おうかと出してみた服なんてのもあったりして、ごちゃごちゃごちゃごちゃさせてしまいます。
最終的には何とか収めますが、その頃にはまた次の何かがあって、まるで賽の河原の石積み……って、同じような状況で家の中がきちんとおさまっている友人も複数いるのですから、言い訳ですよね。
どうも兄もそっくりらしいのです。
兄が結婚してから、何度も遊びに行かさせてもらい、だらしなさとは無縁だけどそこまできっちり片付いていないので、感性が似た者夫婦なのかなぁと長らく思っていたのですが、違う!とわかったのが祖母が亡くなってから。
祖母の旧居だった離れ、一階を兄嫁が茶室にしたのですが、そこの生活感のないオサレっぷりにびっくり。
兄宅の生活感はどうやら兄が醸し出し、それを兄嫁が辛くも汚部屋になるのを止めていたらしい。
現在兄はまことに充実の老後生活を楽しんでおり、冬場は祖父の故郷にほど近い愛媛県に月単位で小屋を借りて過ごすこともあるのですが『俺が使うと、すぐ汚部屋になる』と昨夕言ってました。
もちろん撤収時にはきちんと元に戻すのは、今グッチャなウサギ山小屋の2階を私が片づけるのと同じです。
そして、実は……
家人Bが同じなんですわ。
たまに来ると、汚い、捨てろ!と非難しまくりますが、実は汚部屋の主です。
念願のひとり暮らしを始めた大学生の時が1番きれいでしたが、それでも過去日記に『こんな部屋なのに、料金ホテルオークラ並み』(泊めてもらうと値がさなもの中心にあれ買ってこれ買ってとなった)と書いたような気がするレベルの散らかり方はしてました。
社会人になって、大阪市や新潟市の駅チカ利便性最高な分、狭い物件に住むようになってからは汚部屋です。
疲れて帰宅して、入浴と食べるを優先すると片づけが後回しになると言う循環だったようです。
そして家人Bも兄と私と同じく、やりかけがあっても次に興味が移るとほったらかす習性があるのを先日のウサギ山小屋来訪時に認めました。
こうなると、何らかの片づけられないDNAがあるに違いないと思われてなりません。
祖母は見栄え良く家の中をしつらえる事が出来た人ですが、祖父はあたたかみを感じさせつつ書斎に本や筆記具がごちゃっとしてました。物の少ない時代の人で物欲もなかったので汚部屋にはならなかったけど。
父も物欲はなかったけれど、紙の多い人で、茶封筒に本人だけがわかる分類をして積み上げていて、美的とは程遠かったです。
母は祖母のセンスを受け継ぐ事なく、片づけたつもりでもどこか緩んでましたね。
祖母の姪でスッキリ素敵なお宅でティールームを開いている人もいましたが、父方の伯父伯母も結構ごっちゃ暮らしだったのを思い出しました。
※母が一人娘で父は養子なので、祖父母と血縁関係はありません
ここまで生きて思うのは、極度の富裕層や貧困に陥っておられる方とご縁が無いので分かりませんが、一般的な暮らしを営んでいる方々で、スッキリ暮らせるかごっちゃになるかは、学歴とか収入とか教養とか、皆さんが物差しとしたがる事柄とは全く関係なく見えます。
片づけられないDNAってのがあるんだよ、きっと。
そうだ、そうに違いない!
※世の中では往々にして、こう言う傾向があるとADHDと呼ばれがちなのは存じてはおります。💦
最後に………
家人Aは問題外です