東京、今日はまた蒸し暑くて夏服で過ごせる状態ですが、いくらなんでももう夏日は終わりになる事でしょう。
この何年も「日本は四季じゃないよ、二季みたい」という声を聞くようになりましたが、今年は本当に暑苦しい夏でした。
ウサギ山小屋にいてすらそう思ったので、寒冷地ではない場所でお過ごしの方々は本当にお疲れ様でした。
暑くても寒くても(つまり二季になってる日本では年がら年中という事にもなりますが(^^;))、やる気がそげる怠け者ですが、過ごしやすい季節になると、片付けようという気力も湧きます。
この何年も「日本は四季じゃないよ、二季みたい」という声を聞くようになりましたが、今年は本当に暑苦しい夏でした。
ウサギ山小屋にいてすらそう思ったので、寒冷地ではない場所でお過ごしの方々は本当にお疲れ様でした。
暑くても寒くても(つまり二季になってる日本では年がら年中という事にもなりますが(^^;))、やる気がそげる怠け者ですが、過ごしやすい季節になると、片付けようという気力も湧きます。
昨日は不燃ごみを入れたレジ袋をゴミ収集場所に出しました。
中身は気になりながらなかなか手をつけていなかったものがいくつか入っていますが、そのひとつがこれ。
父の兄、つまり私の伯父が叙勲記念に親戚一同にばらまいたと思しきキラキラしい置時計。
この夏の夕刻、ちょっとだけ寄ってくれた兄いわく「なんだ、ここにも届いていたのか」と言いまして、親戚の中ではみそっかす状態だった私あてにも届いたくらいなので、相当な数を用意したのではないかと思いますが、時計の文字面の裏には伯父の姓名と叙勲記念 昭和62年の文字が金色に見える毛筆で書かれていました。
ずっと山小屋で時を刻んでいたのですが、留守中の湿気のせいか、何年か前から止まってしまいまして、電池を取り替えても動かない。そうなると無用の長物。それに本物の金属製品ではなくて、大部分がプラスティックですから、塗装が剥げたり、見るからにみすぼらしくもなっておりました。
すみっこに菊のご紋章がありましたが、これはどこかから落ちてしまったのかも。恐れ多いし、小さい物なのでこのパーツだけは取り置いて、例によって目薬の処方薬袋に伯父の叙勲記念という小さいメモ書きを入れて当座保存することにしました。
叙勲って、公務員だと結構いただけるものみたいで、そうたいしたものではないんだろうと思っておりますが・・・伯父が亡くなって幾年月。伯父夫婦には子どももいないので思い出だけ胸に刻みます。
そして、もうひとつ。
これは勤めていた会社のギブアウェイ、つまりちょっとした取引先にお配りしていたらしい電卓で、これまた余ったのでしょうね、ぺーぺーでももらえました。
当時はまだカード電卓はちょっとした高級品。まさか100均でも買えるようになるとはつゆ知らず・・・それ以前に携帯電話で電卓機能がついた段階で持ち歩く必要もなくなりましたが、海外旅行に行く時には円と現地の通貨の換算に使おうと持ち歩いておりました。
忘れられない思い出は、旧ソ連の中央アジアのシルクロード旅というのに父と行った時、ホテルのお店だったかと思いますが、対応してくれたきれいな色の服がよく似合う感じの良いマダムから「マダム〜、この電卓おゆずりいだけませんか」とお願いされました(おフランスではわかってても英語を使いたがらないという時代でしたが、ソビエトは英語OKでした)。
今となってはあの時お譲りしていたら、なかなか捨てられないこともなくマダムにも喜ばれてウィンウィンだったかと思いますが、計算能力が低いのでごめんなさいとお断りしてしまいました。
その後しまい込んでいる間に・・・ケースの合皮がもろもろになって電卓の表面にはりつくし、裏を返せば液晶漏れしたんだか何だかすごい錆びで、完全なポンコツとなってしまいました。
が、小さいだけに捨てないでもいいかと思い温存して来ましたが、こんなもの残されても家族が困るよねで、遅まきながらさようなら。
モノは持ち続けていると思い出という付加価値がついてしまうようです😅。その付加価値は持ち主にしか通じないものなんですが、年を重ねて行くとますます貴重なものに思えてしまうし、そもそも体力気力の減退と共に判断力はさらに落ちるという悪例を身近で見ておりますので、えいやっ!
今年の秋がどれくらい続いてくれるのか分かりませんし、秋こそ行楽を楽しまねば!という事で浮足立ってもいますが、過ごしやすい気候の時に片付けしなくていつするんだ!と自分に発破をかけて参ります。
これでも一歩前進!
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中身は気になりながらなかなか手をつけていなかったものがいくつか入っていますが、そのひとつがこれ。
父の兄、つまり私の伯父が叙勲記念に親戚一同にばらまいたと思しきキラキラしい置時計。
この夏の夕刻、ちょっとだけ寄ってくれた兄いわく「なんだ、ここにも届いていたのか」と言いまして、親戚の中ではみそっかす状態だった私あてにも届いたくらいなので、相当な数を用意したのではないかと思いますが、時計の文字面の裏には伯父の姓名と叙勲記念 昭和62年の文字が金色に見える毛筆で書かれていました。
ずっと山小屋で時を刻んでいたのですが、留守中の湿気のせいか、何年か前から止まってしまいまして、電池を取り替えても動かない。そうなると無用の長物。それに本物の金属製品ではなくて、大部分がプラスティックですから、塗装が剥げたり、見るからにみすぼらしくもなっておりました。
すみっこに菊のご紋章がありましたが、これはどこかから落ちてしまったのかも。恐れ多いし、小さい物なのでこのパーツだけは取り置いて、例によって目薬の処方薬袋に伯父の叙勲記念という小さいメモ書きを入れて当座保存することにしました。
叙勲って、公務員だと結構いただけるものみたいで、そうたいしたものではないんだろうと思っておりますが・・・伯父が亡くなって幾年月。伯父夫婦には子どももいないので思い出だけ胸に刻みます。
そして、もうひとつ。
これは勤めていた会社のギブアウェイ、つまりちょっとした取引先にお配りしていたらしい電卓で、これまた余ったのでしょうね、ぺーぺーでももらえました。
当時はまだカード電卓はちょっとした高級品。まさか100均でも買えるようになるとはつゆ知らず・・・それ以前に携帯電話で電卓機能がついた段階で持ち歩く必要もなくなりましたが、海外旅行に行く時には円と現地の通貨の換算に使おうと持ち歩いておりました。
忘れられない思い出は、旧ソ連の中央アジアのシルクロード旅というのに父と行った時、ホテルのお店だったかと思いますが、対応してくれたきれいな色の服がよく似合う感じの良いマダムから「マダム〜、この電卓おゆずりいだけませんか」とお願いされました(おフランスではわかってても英語を使いたがらないという時代でしたが、ソビエトは英語OKでした)。
今となってはあの時お譲りしていたら、なかなか捨てられないこともなくマダムにも喜ばれてウィンウィンだったかと思いますが、計算能力が低いのでごめんなさいとお断りしてしまいました。
その後しまい込んでいる間に・・・ケースの合皮がもろもろになって電卓の表面にはりつくし、裏を返せば液晶漏れしたんだか何だかすごい錆びで、完全なポンコツとなってしまいました。
が、小さいだけに捨てないでもいいかと思い温存して来ましたが、こんなもの残されても家族が困るよねで、遅まきながらさようなら。
モノは持ち続けていると思い出という付加価値がついてしまうようです😅。その付加価値は持ち主にしか通じないものなんですが、年を重ねて行くとますます貴重なものに思えてしまうし、そもそも体力気力の減退と共に判断力はさらに落ちるという悪例を身近で見ておりますので、えいやっ!
今年の秋がどれくらい続いてくれるのか分かりませんし、秋こそ行楽を楽しまねば!という事で浮足立ってもいますが、過ごしやすい気候の時に片付けしなくていつするんだ!と自分に発破をかけて参ります。
これでも一歩前進!