起床時間は6時過ぎ。普段は寝坊の家人Bも温泉に入るとなると早く目が覚めるようです。
昨夕と夜は女性は1階、男性が3階の大浴場だったのが一夜明けて入れ替え。朝のお風呂は昨日より混んでいましたが、洗い場が多く、広い文字通りの大浴場なので、カラン空き待ちなどもありません。
3階大浴場は断崖部分を活かしてのおそろしくダイナミックなつくり。お風呂なので当然ながら写真撮影できませんが、ホテルの窓から見える流れの向こうに立てられている看板によれば坂上田村麻呂ゆかりの土地らしいのです。
そして、朝ごはんもバイキング。野菜中心にしましたが、あれも食べたい、これも食べたいのてんこ盛りにした結果、食べ過ぎました。
昨夕と夜は女性は1階、男性が3階の大浴場だったのが一夜明けて入れ替え。朝のお風呂は昨日より混んでいましたが、洗い場が多く、広い文字通りの大浴場なので、カラン空き待ちなどもありません。
3階大浴場は断崖部分を活かしてのおそろしくダイナミックなつくり。お風呂なので当然ながら写真撮影できませんが、ホテルの窓から見える流れの向こうに立てられている看板によれば坂上田村麻呂ゆかりの土地らしいのです。
そして、朝ごはんもバイキング。野菜中心にしましたが、あれも食べたい、これも食べたいのてんこ盛りにした結果、食べ過ぎました。
10時チェックアウト後、すぐに在来線花巻駅経由、新花巻駅までの温泉街の送迎バスに乗せてもらいましたが、晴天で遠くまでよく見えました。
酪農も行われているようで時々いかにも牛舎らしい建物が見られ、八ヶ岳山麓を思い出しますが、傾斜が全くなくて広々として、山は遠くに見える風景が全く違います。
稲刈りは済んで、乾燥するのを待っているらしい大豆畑(枝豆状態)もありました。
昨日は雨なのでそそくさと待機中の送迎バスに乗ってしまいましたが、新花巻駅前には宮沢賢治関係のオブジェがありました。
新花巻に来て、今さらながら知って驚いたこと。それは、な、なんと家人Bが「宮沢賢治それ誰?」だったことです。国語の教科書に載っているだろうと思ったし、賢治の詩的な世界をうまく伝えられなさそうな気がしたので、賢治の作品を読み聞かせてやることを一切していないというぬかりに気が付いたのです。
まさかの出来事に驚いたのですが、話をしているうちに宮沢賢治へのオマージュやトリビュート作品には結構触れていることが分かりました。
タクシーで宮沢賢治記念館に来ました。
見晴らしの良い丘の上に建っていて、絶景が見えるのですが、駐車場には車がたくさん。観光バスも来ていたりして、宮沢賢治がいかに多くの人に愛されているかがよくわかりました。
宮沢賢治は詩人、作家のイメージが強いけれど、農業、宇宙や科学、音楽、そして法華経など、興味の幅が広く、コーナーに分けての展示でした。
驚いたのは詩や童話の原稿の文字はかなり癖が強く悪筆と言ってよいくらいなのに、公的書類などの文字はきちんと書かれているギャップの大きさで、おそらくはイメージが次から次へ頭の中に湧いてしまって、きれいな文字で丁寧に書くなんて言う悠長なことをしてはいられなかったのだろうなぁと想像しました。
賢治が今生きていたら、キーボードをガンガン叩いたり、スマホでその場で作品をつくっていたかも知れませんが、鉛筆を握りしめて書かれた原稿の方が人となりや思いが伝わる気がします。
仲の良い友人、山梨県出身の方です。
北巨摩郡と言っても、今の北杜市ではなくて、韮崎市部分になります。
館内にはとても眺望の美しいサンルームのような一角がありましたが、駐車場の端にもすばらしい景色が見られるスポットがありました。
お昼は記念館と駐車場をはさんで反対側、美眺望スポットの隣にある山猫軒へ。
注文の多い料理店にちなんだ看板、家人Bにピッタリ(笑)。
家人Bはすいとんセットを食べました。私の子ども時代はまだすいとんと戦争の記憶を絡める話を聞かされましたが、今どきは立派なごちそうです。
野菜主体とは言え、ふだんの3倍くらい食べてしまった私が辛くも食べられるものがあってよかったの雑炊。多分、シニアの記念館来館者向けなのでしょうね。
お土産物店も兼ねている店です。
入り口あたりにタクシー専用電話があり、シニア男性が13時台の新幹線に乗りたいと連絡をしたものの配車が間に合わないと言われガックリしている場面が見えました。
往路タクシーの運転手さんに早めに配車手配をした方が良いと言われ、続いて家人Bが連絡したところ14時台の新幹線に間に合うようには出来ると返事をもらった直後、女性の店員さんが「新幹線に間に合いそうなタクシーが確保出来そうです」とガックリしていた男性に声をかけているのが聞こえて来ました。
様子を聞いて何とかしてあげようと手を尽くしたのだなぁと、家人Bともどもその親切心に感動。
風景もうつくしく人柄も良い、良い土地柄という印象を持ちました。
帰着した新花巻駅ではこんな展示コーナーもありました。
大谷翔平選手は奥州市出身ですが、花巻東高校のOBでした。
帰りの新幹線は東京に近づくにつれて混雑して来ましたが、宇都宮駅からはなんと体の大きな力士数人と親方と思しき断髪の彫の深いこれまた大きな男性が。
親方の席は3人掛けで先客が一人だったのでよかったですが、若い力士は無事座れたのかしら?
親方はどうやら元関脇の魁聖あらため友綱親方だったようです。
駆け足旅でしたが楽しかったです。
最後に・・・大事なことを書き忘れていました。
オーバーツーリズムがない花巻市、心おだやかに過ごせてとってもお勧め!
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酪農も行われているようで時々いかにも牛舎らしい建物が見られ、八ヶ岳山麓を思い出しますが、傾斜が全くなくて広々として、山は遠くに見える風景が全く違います。
稲刈りは済んで、乾燥するのを待っているらしい大豆畑(枝豆状態)もありました。
昨日は雨なのでそそくさと待機中の送迎バスに乗ってしまいましたが、新花巻駅前には宮沢賢治関係のオブジェがありました。
新花巻に来て、今さらながら知って驚いたこと。それは、な、なんと家人Bが「宮沢賢治それ誰?」だったことです。国語の教科書に載っているだろうと思ったし、賢治の詩的な世界をうまく伝えられなさそうな気がしたので、賢治の作品を読み聞かせてやることを一切していないというぬかりに気が付いたのです。
まさかの出来事に驚いたのですが、話をしているうちに宮沢賢治へのオマージュやトリビュート作品には結構触れていることが分かりました。
タクシーで宮沢賢治記念館に来ました。
見晴らしの良い丘の上に建っていて、絶景が見えるのですが、駐車場には車がたくさん。観光バスも来ていたりして、宮沢賢治がいかに多くの人に愛されているかがよくわかりました。
宮沢賢治は詩人、作家のイメージが強いけれど、農業、宇宙や科学、音楽、そして法華経など、興味の幅が広く、コーナーに分けての展示でした。
驚いたのは詩や童話の原稿の文字はかなり癖が強く悪筆と言ってよいくらいなのに、公的書類などの文字はきちんと書かれているギャップの大きさで、おそらくはイメージが次から次へ頭の中に湧いてしまって、きれいな文字で丁寧に書くなんて言う悠長なことをしてはいられなかったのだろうなぁと想像しました。
賢治が今生きていたら、キーボードをガンガン叩いたり、スマホでその場で作品をつくっていたかも知れませんが、鉛筆を握りしめて書かれた原稿の方が人となりや思いが伝わる気がします。
仲の良い友人、山梨県出身の方です。
北巨摩郡と言っても、今の北杜市ではなくて、韮崎市部分になります。
館内にはとても眺望の美しいサンルームのような一角がありましたが、駐車場の端にもすばらしい景色が見られるスポットがありました。
お昼は記念館と駐車場をはさんで反対側、美眺望スポットの隣にある山猫軒へ。
注文の多い料理店にちなんだ看板、家人Bにピッタリ(笑)。
家人Bはすいとんセットを食べました。私の子ども時代はまだすいとんと戦争の記憶を絡める話を聞かされましたが、今どきは立派なごちそうです。
野菜主体とは言え、ふだんの3倍くらい食べてしまった私が辛くも食べられるものがあってよかったの雑炊。多分、シニアの記念館来館者向けなのでしょうね。
お土産物店も兼ねている店です。
入り口あたりにタクシー専用電話があり、シニア男性が13時台の新幹線に乗りたいと連絡をしたものの配車が間に合わないと言われガックリしている場面が見えました。
往路タクシーの運転手さんに早めに配車手配をした方が良いと言われ、続いて家人Bが連絡したところ14時台の新幹線に間に合うようには出来ると返事をもらった直後、女性の店員さんが「新幹線に間に合いそうなタクシーが確保出来そうです」とガックリしていた男性に声をかけているのが聞こえて来ました。
様子を聞いて何とかしてあげようと手を尽くしたのだなぁと、家人Bともどもその親切心に感動。
風景もうつくしく人柄も良い、良い土地柄という印象を持ちました。
帰着した新花巻駅ではこんな展示コーナーもありました。
大谷翔平選手は奥州市出身ですが、花巻東高校のOBでした。
帰りの新幹線は東京に近づくにつれて混雑して来ましたが、宇都宮駅からはなんと体の大きな力士数人と親方と思しき断髪の彫の深いこれまた大きな男性が。
親方の席は3人掛けで先客が一人だったのでよかったですが、若い力士は無事座れたのかしら?
親方はどうやら元関脇の魁聖あらため友綱親方だったようです。
駆け足旅でしたが楽しかったです。
最後に・・・大事なことを書き忘れていました。
オーバーツーリズムがない花巻市、心おだやかに過ごせてとってもお勧め!