小学校低学年のころ、それはよくものもらいが出来ました。
先日渋谷駅を通って、新しく出来たサクラテラスらしい建物を見て、かつてそこはカスヤビルが建っていて一階に交通公社(って今のJTB)二階だか三階に野崎眼科が入っていて、小学校3年の頃はひっきりなしに行っていたような気がします。
多分、その頃からアレルギー性の痒みがあるのを汚い手でかいたからものもらいと化してしまったのではと思いますが、片眼が治ると次に反対側、そちらが治るとまた反対側に出現。
クラスメイトからはお岩さんと呼ばれた時期でありました。
今と違って眼科では目薬の入ったガラスの容器からガラスの棒を引き抜いて点眼してくれました。
子どもの頃は眼科も使い切りの薬は使わなかったですが、学校で行う集団予防接種は消毒用のステンレスの湯気の立つ器に注射器ごと挿していましたが、結構アバウトで使い回ししてましたね(それで肝炎もらった人もいるからワタシも怪しいかも😅)。
またまた脱線。f^_^;
しょっちゅうものもらいが出来るお岩さんから脱したのは横浜に転校した年の小4になる前くらいからだったでしょうか。
世間にアレルギー性結膜炎という言葉が普及すると今度は割と頻繁に結膜炎で受診。
私の頭部のパーツの中で最強が歯なら最弱が目という感じでした(頭も悪い、顔も悪いは無しね😉)。
最後にものもらいになったのは記憶に定かではありませんが、OL時代、赤坂と虎ノ門の間の日陰みたいなオフィス街にあった眼科で切開してもらいあっさり治ったのは印象的です。
確かそのあとすぐに今も付き合いの続くMちゃんと島旅に行きましたっけ。
近年は飛蚊症、ドライアイ、時々眼底出血騒ぎとなり、他の診療科に比べると断然通う頻度が高い眼科でありますが、ものもらいは前の住まいのかかりつけの先生にも診て貰った記憶はありません。
ドライアイの点眼薬ジクアスが切れちゃったから眼科行かなきゃだけどめんどくさいなぁ。ジクアスなくてもヒアレインあるからそれでごまかすかな
と昨朝は思っていましたが、昨晩、何か左目がうっとうしいと思って鏡を見たら、久々にお岩さんになりかけていました。
小学校時代のようなひどく腫れ上がったお岩さん状態ではありませんが、まぶた押すと微妙に痛いし、赤くほんのり盛り上がってるし……
これは眼科に直ぐに行くべしと言う天の声に違いない!
パルシステムの配達が正午頃済んだので急いで13時から昼休みになる眼科へ。
検査すると何やら繊維みたいなものか結膜に鎮座していたようで先生が取り除けてくださいました。まつ毛とか細い繊維みたいなものなら気付くのですが、全くわかりませんでした。
その影響もあったようですが、ストレスや疲労が溜まっているところに細菌が入ると出来ますとのお言葉でした。
眼圧等の異常はなくて、左目用に目薬2種類と塗り薬ひとつ、両目用にジクアスを処方していただき、直ぐに薬局に寄りました。
まずはものもらい用を点眼し、その後にドライアイ用。何と目薬ごとに5分空けなくちゃだそうでして、次のを挿すのを忘れそうだわ。
塗り薬は綿棒は繊維が付くから使わずに手指をよく洗ってから寝る前に塗布してくださいとの説明でした。
あー、めんどくさいぞぉ。
この春からどんだけお薬ざんまいなんだ。高齢者医療のせいで財政状況悪化してるの声を聞くたびに申し訳なく思いますが、結構気をつけてるつもりでも、いろいろ出て来るお年頃。
やがてあなたもそうなるんだからね、と気が付く年齢でもあります。
ものもらい、関西ではめばちこと言うようですが、そっちの方が実態に見合った音だなぁと思います。
私の地域では「ものもらい」と言います。
祖母がホウ酸をお湯で溶き、脱脂綿で目を洗ってくれたことを思い出しました。